INTERVIEW WITH PRESIDENT 公式フェイスブック INTERVIEW WITH PRESIDENT 公式ツイッター

チャレンジして想像力を鍛える

株式会社サイバースペース
大森 明治 代表取締役

  • 2022/9/9
i-catch-cyberspace-jp

中学生の頃から決めていたコンピュータ業界

個人事業主から再就職、また起業、その経緯を教えてください。

 工業高校を卒業して富士通系のコンピュータソフトを開発・販売する会社に入社しました。
 希望はソフトウェア開発をしたかったのですが、営業職に配属され、入社後9年間は愛媛県内で営業をしていました。
 その後、Windows95が登場したことで、業界的にもソフトウェア開発の概念が変わり、東京の本社に転勤の話がきたのですが、東京は水が合わないと感じたので会社を辞めました。

 退社後は、ソフトウェア開発が好きだったので自分で仕事をしながら、会社員時代のお客さんと偶然にお会いしたのをきっかけに美容室の業務を管理するシステムを作って提供するなど、個人事業主として働いていました。
 知人の会社の業務に携わったり、友達が会社を立ち上げるときに参加したりなど、個人事業主として働いていた時期が20年間ほどありました。

 その後、ある会社からのお誘いがあり3年ほど働いていました。しかし、開発の仕事はできたのですが、自分のやりたいことをしようとすると上からの決裁が下りなくて出来ないことが多かったので辞めました。

 起業のきっかけは、同じ会社に勤めていた同僚も会社を辞め、私に「会社を作ったらどうか」と言ってきたことです。
 そこで、私を含め、エンジニアの仕事をしていた私の兄、前職の同僚らの計4人で会社を始めました。
 これが起業までのきっかけと経緯です。

9年間会社に勤めていたと言うことですが、プログラミングはその会社で学習したのですか。

 当時のプログラミング言語はCOBOLだったのですが、COBOLを使っての開発はしていませんでした。

 パソコンが出た当時は、私たち営業職の人間がクライアントに対してパソコンの説明をしていました。
 また、今ならばExcelがありますが、当時はExcelではなく、Calcという表計算ソフトがあって、このソフトや各メーカーが出していたちょっとしたプログラムを組めるツールについての説明もしていました。
 プログラミングは元々好きだったので独学で勉強していました。

中学時代からソフトウェア開発に興味があったのですか。

 はい。中学生の段階で決めていました。そのため、工業高校に入学して卒業後は就職しようと決めていました。
 ただ、当時は、これからはコンピュータがくるらしいよという時代でした。今やスマホやパソコンを1人が1台や2台持つのが当たり前ですが、当時は大企業にしかなくて何千万円もしており、ソフトウェア開発をするために工業高校で情報系の勉強をしました。
 しかし、会社は営業職しか求めていなくてエンジニアにはなれませんでした。

次のページ『やればできる』

ページ:

1

2 3 4

会社概要

社名:株式会社サイバースペース
代表名:大森 明治
住所:愛媛県松山市北立花町8-1 office藤崎101
TEL:089-968-2521
事業内容:・サービス業

Random Pick Up

『この記事を書いた人』

愛媛大学
濵村 駿介

『この記事を書いた人』

松山大学
高橋 航貴

『この記事を書いた人』

松山大学
松井 秀樹

『この記事を書いた人』

愛媛大学
北尾 友二

『この記事を書いた人』

松山大学
樋口 真哉

『この記事を書いた人』

松山大学
福山 さくら

『この記事を書いた人』

愛媛大学
大隣 麻衣

『この記事を書いた人』

松山大学
田岡 美紗

『この記事を書いた人』

松山大学
杉脇 丈紘

『この記事を書いた人』

松山大学
岩本 真依

『この記事を書いた人』

西山 和馬

『この記事を書いた人』

松山大学
山本 隆生

『この記事を書いた人』

インターンシップ生
大河原 慧

『この記事を書いた人』

インターンシップ生
藤平 祥太

『この記事を書いた人』

松山大学
坪北 奈津美

『この記事を書いた人』

愛媛大学
兼頭 里奈

『この記事を書いた人』

愛媛大学
高市 奈津美

『この記事を書いた人』

愛媛大学
松本 優香

『この記事を書いた人』

松山大学
大西 清楓

『この記事を書いた人』

松山大学
山田 智也

『この記事を書いた人』

愛媛大学
多賀谷 直樹

『この記事を書いた人』

松山大学
山根 大輝

『この記事を書いた人』

松山大学
川崎 詩歩

『この記事を書いた人』

愛媛大学
矢野 愛茄里

『この記事を書いた人』

松山大学
宮内 真歩

ページ上部へ戻る