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紳士を目指し、自分流に楽しめ!
有限会社夢想庵
井上 栄一 代表取締役
- 2019/9/11
覚悟なきものに自由なし。「楽しさを追い求めてこそ、その生涯は光輝く」
Barをされるようになったきっかけを教えていただけませんか?
きっかけを辿ると少々長くなってしまいますが、まず私が就職を考えるようになった18、19歳の頃からお話します。
就職を考える歳になっても、私は何をしたいのか明確なビジョンがありませんでした。ただ「外国船に乗ってみたい」とはぼんやりと思っていました。
「外国船に乗って世界中を行き来する船乗りになろう」と思っていたことを行動に移し、外国航路の大型船の船員になりました。
その船は野球場が2つ位入るような大型船で、広大な海を航海するということはとても素晴らしい経験でした。
嵐がくれば波は甲板を乗り越え、船が潜水艦のように沈んでしまうのではないかと思うほど凄かったです。特に荒れた時には船は大きく揺れ、寝ていてもゴロゴロ転がされてまともに寝ることもできません。
始めのうちは船酔いで食べたものも戻してしまい、まともにご飯を食べられるようになるまでに2週間位はかかりました。それでも結構楽しかったです(笑)
外国船に乗って井上代表の価値観を変える出来事はありましたか?
船に乗って世界中の国を見て回りましたが、その中で今の私の価値観に大きく影響を与えたことがありました。
私が船に乗った頃はベトナム戦争の終盤で戦いの真っ只中でした。
戦火が飛び交う地域の近海を航海し、ベトナムの港に入って、街から少し奥地の危険で行けないところへ行ったとき、私はそこで初めて人間の死体を見ました。流木の如く川にプカプカと死体が浮かんでいるわけです。
そのとき私は「ウゲッ」などとは全く思わず、むしろ「人ってこんなに簡単に死ぬんだな」と強く感じました。
そのとき『生』ということに対して一切不安がなくなりました。
普通だったら「恐怖」を感じるのかもしれませんが、そういう、「常に『死』と隣り合わせに生きてきた人」を見たとき、「自分にも死と隣り合わせな生き方をする時が訪れるのだな」と受け入れる覚悟のようなものができました。
子供の頃から思いつきだとか、気まぐれに行動してきた私ですが、外国船の船員としての経験により自由気ままな生き方に更に拍車が掛かりました。
「何をしていてもいつかは死ぬ。だからあまり先を考えて悩んでも仕方がない。楽しく自分のしたいことをして生きよう。」と、そういう価値観が形成されました。
船を降りられてからはどうされたのですか?
船を降りたのは乗船してから2年ほど経った20歳の頃でした。そしてそこから私は空手を始めることになり、大山倍達を総帥とする極真会館の道場に入門しました。
きっかけは、実家の隣のお兄さんが空手の師範をしており、私のやんちゃ仲間達が「そのお兄さんを紹介してくれないか」と私に頼んできたことです。私自身は空手に全く興味はなく、するつもりもありませんでした。
最初は仲間達が道場に入門しましたが、道場の指導は凄まじくキツく、今ではこんなこと絶対ありませんが、手足が折れる、顔が歪む、歯が折れるのは日常茶飯事でした。そんな道場だったため、せっかく買った道着も放置して、彼らは皆1日で辞めてしまいました。
すると師範のお兄さんが、「ブラブラして何もすることがないんだったら、ここに道着もあるし、半年分ぐらい月謝もいらないから空手やってみない?」と誘ってくれ、「これはお得だ!」と思った私は、そのキツイ話を聞いておきながらその道場に入門しました。
空手の稽古に対する恐怖感はなかったのですか?
その頃少しやんちゃをしていた私にとっては、その前の外国船での航海で「死ぬ」とか「生きる」とか「戦争」とか、本当のものを見て帰ってきたばっかりだったので、それほど怖さというものはありませんでした。
むしろ人と人とが素手でぶつかり合っていることに、私自身ある種の喜びのようなものを見出していました。
社会に出て人を殴ったり蹴ったりしたら捕まってしまいますけど、この道場の中では罰せられない。年齢、職業、そういった社会のしがらみを全て無視し、皆対等に、平等にぶつかり合うという姿に魅力を感じました。
私は弱い人間でしたので、空手を通して肉体的にも精神的にも強くなれたと思います。
稽古は本当に厳しいものでしたが、全国大会を目標に、練習に明け暮れました。そのため、黒帯を取るのに3年かかるとされていた頃、私は1年と数ヶ月で取ることができました。
本当に空手しかその頃はしておらず収入はほとんどなかったですが、時々空手を公民館などに教えに行き、そこで謝礼をいただきながらなんとか細々と暮らしていくことができていました。
空手漬けの日々からどんな経緯でBarを始められるようになられたのですか?
Barを始める前に、まず喫茶店の経営をすることになりました。先ほどお話したような空手漬けの日々を過ごしていた時、先輩が「定職にもつかないで空手ばっかりしていていいのか?」と、私のことをなにかと気にかけてくれました。
仕事もいろいろ紹介して下さりましたが、どれも自分の性に合わず、「やっぱり君は勤めるというのはできないね」と言われました。
そこからその先輩は色々段取りしていただき、その当時売りに出されていた喫茶店を買い取るように話を進めて下さり、これが喫茶店の経営を始めるようになったきっかけです。
お金もない、働いた経験も浅い、何にもない私に対して、その先輩は銀行の資金をはじめ、必要であろう物を全て揃えて下さりました。
この時26歳で、もちろん経営の経験もなく、ましてや喫茶店に行ったことも、コーヒーを飲んだことすらなかったこの私が喫茶店をオープンさせることになりました。
その時空手は思い切って辞めました。
「二足のわらじは履けない、この先輩にしていただいた「義」に対して、私も一生懸命、必死になって返すんだ。空手なんかやってる場合ではない。遊び半分で喫茶店をやってる場合ではない」と決意し、全身全霊でその仕事に打ち込もうと思い、コーヒーの淹れ方、ジュースの作り方、簡単な料理の仕方を見様見真似で覚え、分からないことはお店のスタッフに教えてもらったりもしました。
始めのうちは朝7時に店をオープンして、夜中の3時までやっていました。
睡眠時間は毎日3時間ぐらいでしたが、体力だけは自信があったので、へばることなく働けました。
会社概要
社名:有限会社夢想庵
代表名:井上 栄一
住所:愛媛県松山市一番町1丁目6-12 夢想庵壱番館
TEL:089-931-8638
事業内容:・宿泊業/飲食業