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新しいことに挑戦する
有限会社サロンキティ
伊賀 千晃 代表取締役
- 2021/8/30
松山から日本全国に通用するアーティストを
まずマッドマガジンレコードのレコードレーベルを立ち上げたきっかけを教えてくだい。
中学生でバンドを始め、ずっとドラムをしていました。高校生で別のバンドのボーカルに移り、ライブではホールを満員にすることもありました。
そして、22歳で新たにパンクバンドを作りました。その時に、「メンバーと一緒に何かしたい」、「全国の人に歌を聞いてもらいたい」という思いから、四国の良いバンドを集め、オムニバスを作ることにして、今のレーベルを立ち上げました。これが今のマッドマガジンレコードの源流です。
その後、いくつものアーティストを輩出されてきましたが、売るために具体的にどのようなことをして、どのような結果が得られたのかを教えてください。
アーティストに足りないものを補ってきました。
アーティストというものは音楽技術だけでなく見た目やコンセプトなども大切で、全てが揃って初めて売れます。
ジャパハリネットのメンバーで言うと、ヒロキは普通の服が似合わないので白のつなぎにしたり、ケンジロウなら最後はバク転で決めてみたらどうかとアドバイスしたりもしました。
やはり、「トータルバランス」です。例えるならボールですね。
へこみがあるものではなく、丸いボールであることが大切で、投げたときにまっすぐ転がるものでないとダメです。少しでも欠点があると、そこが引っ込んでまっすぐには進みません。だから、それをどう補っていくかです。それが揃って、初めて売れます。
なぜアイドルもプロデュースし始めたのかを教えてください。
ジャパハリネットが解散して、サロンキティも落ち着いてきましたが、せっかく作ったキティホールが想像以上に閑散としていました。週に1回も稼働しないときがあり、これではダメだと思いました。
過去に六本木のバーであるプロダクション会社の社長と出会い、様々な面白い話を聞いたことを思い出し、ひめキュンフルーツ缶を作ることにしました。
2人のプロジェクトメンバーと話し合い、知名度が上がるまでは一般的なアイドル路線で進めましたが、他とは違うことをしたいという思いもあり、徐々にロック化していくことにしました。
姉妹グループですが、ヘビーメタル化したユニットもいます。
そして、日本全国の人に見せたかったので、バンドと同じようにツアーも回り始めました。
今では当たり前になっていますが、当時は自分達以外にツアーを回っているアイドルはおらず、画期的なことをしていたのではないかと思います。
また、曲の制作、レッスンやライブも全て、このビルで自分達で行っております。PVも以前までは東京で撮影していましたが、今は松山でやっています。
このように、東京でできることは基本的に松山でもできるのではないかと思っています。
そして、ジャパハリネット、ひめキュンフルーツ缶、nanoCUNEの3ユニットのメジャーデビューを達成できたので、松山から日本全国に通用するアーティストを作ることは可能だと思っています。
では、プロデュースをするにあたって大切にしていることを教えてください。
最近では「アーティストに、自分の意見を押し付けないこと」が大切だと思うようになりました。
「自分はこうしたい」だと押し付けや無理やりになってしまい、合わせさせる形になってしまうので、「自分はこう思うけど、どう思う?」という姿勢をとるようにしています。
やはり色んなやり方、売り方があるのでなるべく尊重するようにしています。ただ、明らかに無理だったり失敗する可能性がとても高そうな場合は、嫌われるとしても「こうした方がいい」と言っています。
会社概要
社名:有限会社サロンキティ
代表名:伊賀 千晃
住所:愛媛県松山市河原町138 キティビル3F
TEL:089-972-0621
事業内容:・生活関連業/娯楽業