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「どんどん、前へ進んでください。」
えひめのCG屋さん
石水 修司 代表
- 2015/9/13
何でも好きなことをいつまでも
コンピュータ関連の仕事をしていらっしゃいますが、コンピュータに興味を持ったのはいつ頃ですか。
小学6年生の時に、シャープ製のMZ-80というコンピュータのシリーズがありました。まだカセットテープにデータを記録する時代でした。コンピュータで何が出来るのかすら分かりませんでしたが、すごく興味がわきました。
当時の町にはコンピュータを扱っているお店が無かったので、親に新居浜市のお店へ連れて行ってもらった時に2時間くらい触っていました。当時のパソコン雑誌にはプログラムのコードが掲載されていて、それを覚えて打ち込んだり、と色々試していましたね。
当時のパソコンは20万円近くもする高価なものだったので、簡単に買えるものではありませんでした。なので貯金等をして自分のパソコンが持てるようになったのは中学生になってからです。貯金しても少し足りなかったので最後は父に少し援助してもらい購入しました。
ご飯を食べるのも忘れるくらい夢中になり、プログラムを打ち込んでいました。中学生なのでゲームが多かったのですが、自分自身でプログラムを打っていると、改造も出来るようになってきます。なので自分を無敵にしてしまうこともできました。そうなるとゲームの面白みがなくなってきてしまいます。
その後は友人に自分が作ったゲームをプレイしてもらい、その感想をもとに、改造、レビュー、改造を繰り返していました。友人から面白いゲームの話を聞くと、それを真似て作ってみたりと、ものづくりの「楽しさ」はその頃に刷り込まれてしまったのかもしれません。
近畿大学で有機化学について研究していたそうですが、どのような経緯があったのですか。
昔から、プログラマーには「35歳定年説」が言われていたため、その年齢以降でも一生食っていける能力を身につけたいという思いがありましたね。また高度経済成長期で化学工業が伸びていたことと、化学が得意教科だったということが重なり、近畿大学の九州工学部(現産業理工学部)へ入学しました。
また、前から続けていた剣道と、好きな美術をする為に、剣道部と美術部に入部しました。近畿大学には変わった人が集まるらしく、先日のOB会で教授にお会いしたら、有機化学が専門なのに、これからは海産物の時代だといって、海産物の養殖の研究をしていました。
職業は何を基準に選ばれたのですか。
大学で学んだ化学に関する仕事を探していて、愛媛県にある大手化学会社などの求人を見たのですが、当時はバブルの崩壊直後ということもあって、希望する仕事はありませんでした。
しかし「研究」という仕事がしたかったので、県内の食品会社の研究職に応募し、内定を頂けました。基礎研究のような仕事を期待していたのですが、実際に配属されたのでは「開発」セクションでした。けれど、今思い返すと「開発」も今の仕事と同じく「ものづくり」でしたね。ロジカルにものづくりを進めていく手法は、今にも通じているものがあると思います。
人生でのターニングポイントはありましたか。
「ターニングポイント」と言われるようなきっちりとしたポイントは無かったように思います。いつも迷いながら、それでも前に進んでいくしかないと、それしか考えて無かったのかもしれません。最近では、思い悩むと剣道の稽古に行きます。
立ち会っている瞬間は目の前の相手のことだけを考えますので、思い悩む心はどこかへ行っています。それと通じる部分があると思うのですが、常に今できること、目の前のことに全力で取り組む、それがずっと続いているのかもしれませんね。
そう考えると、ターニングポイントは大学進学の時になるのかもしれません。それまでの自分を変えたくて、私を知る人が誰もいない環境で、自分から明るく振る舞うようにして、その環境を変えていきました。そのことによって、良い面も悪い面もありましたし、環境で人は変わる、そして、環境が変わると見えるものが違ってくることも学習しました。
会社概要
社名:えひめのCG屋さん
※平成29年9月「株式会社フィジカルアイ」設立
代表名:石水 修司
住所:愛媛県今治市拝志4-35
TEL:050-5899-1352
URL:https://physical-i.jp
事業内容:・IT/WEBサービス