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「どんどん冒険しようよ」

ジョバンニ株式会社
和家 裕樹 代表取締役社長

  • 2014/12/5
i-cath-giovanni

和家
福山さんお久しぶりです。
こういった形のインタビューは初めてなので少し緊張気味です。

福山
お久しぶりです。
TOEICのクラスで受講していた時以来ですね。
本日はよろしくお願い致します。
それでは経営者になるまでのことを教えて頂けますでしょうか。

和家
はい。
まず小学校の高学年の時にはすでに「将来社長になる」と漠然ではありますが、気持ちが芽生えておりました。
三歳上に兄がいるのですが、「兄ちゃん、将来二人とも社長になってあそこにある土地を買い占めよう!」とか言っておりましたね。

福山
小学生からとは驚きですね。

和家
はい。
昔から野心家の兄弟でしたね。
現在、兄も東京で株式会社ゼスタスの代表を勤めており、お互い経営者をしております。
学生時代、私が助けることはあまりなかったのですが、兄から勉強など助けてもらったことが沢山あります。
大学生の時は兄が筑波大学に通っていたのですが、FAXでやり取りして勉強を教えてもらっていましたね。
本当に尊敬のできる兄です。

福山
素敵なお兄様ですね。
以前私が教室に通っている時に本に掲載されているお兄様を見せて頂いた記憶がございます。

和家
あれからもっと会社も大きくなっていますよ。
将来、兄を抜きたいと思っているのですが、なかなか大きな壁ですね。

福山
身近に目標の方がいらっしゃることは良い刺激を与えてくれるし、また兄弟ですから絶対、力にもなってくれると思います。
和家代表の幼少期はどの様な少年だったのでしょうか。

和家
私のお家は小さい頃からすごく自由な家庭環境でした。
家庭環境からその人が将来どのような人生を送るのか、どういう人格になるのかが決まってくると私は思っています。

福山
ある程度の性格もあるとは思いますが、環境も大切ですよね。

和家
はい。
すごく自由にさせてくれる家庭で、両親に「勉強しなさい」と言われるご家庭は多いのではないかと思うのですが、私も兄も一度も言われたことないです。
勉強よりももっと大切なことがある、人間関係とか家族愛とか、家族と一緒にご飯を食べるとか。
そういう時間の方が人格形成には大事だと思います。

これをチャレンジしてみたいということであれば、「やってみたいのだったらやってみなさい」となんでも私のやりたいことを応援してくれました。
「だけど失敗した時は自分の責任だぞと」そういった環境で小学生から大学生まで歩んできました。

福山
「勉強しなさい」「これをしなさい」といったご家庭が多いと思うのですが和家代表のご両親はやりたいことを応援してくれる方だったのですね。

和家
嫁姑の喧嘩も一切ないですし本当に仲が良い家族です。
父親と母親も完璧なベストカップルで、喧嘩も聞いたこともないですし見たこともありません。
車や家にいる時でも不平不満も聞いたことありませんし、日曜日なんかは目覚まし時計が両親の笑い声でしたね。
すごく幸せな幼少期でした。

福山
和家代表もそういった家庭を築きそうですよね。
すごく優しそうです。

和家
ありがとうございます。
昔は反抗をしていた時期もあり、少しイライラしていた時もありました。

福山
現在の穏やかな和家代表からは全然想像できませんね。

和家
高校に入って思うようにいかなくなりましたね。

福山
私もそのような時期がありました。
英語に触れるきっかけは何だったのでしょうか。

和家
英語で音声が流れるト―キングカードが初めて英語に触れたきっかけですかね。
小学生の高学年の時にNHKの国際ニュースを聞いて、宇宙人が喋っているように聞こえたというのを覚えています。
多言語をマスターできるとは思っていなかったですね。
一つのことを一生懸命頑張るタイプでしたので、なんとかそのニュースを理解できるようになろうと思いました。

中学生の時は英語だけですが成績はトップの位置にいました。
中学二年生の時に担任の先生が「来週イギリスロンドン出身のALTの先生が来るのですが誰か、おもてなしを給食時間にしてくれる人いませんか」とのことで、私はすぐ「先生、それやります!」と言っのを覚えています。

福山
和家代表は当時から積極的な学生だったのですね。

和家
はい。
当日職員室にイギリス人の先生を接待したのですがそこで初めて外国の方と接する楽しさを知りました。
好きなものは積極的にやるので上達が早かったです。

その後、東高校に入学したのですが中学校の時にトップクラスだった英語がいきなり最下位となって難しく感じるようになりドン底に落ちた気分でした。
落ちこぼれになってしまって、勉強に身が入らなくなってしまいゲームばかりしていました。
授業も分からず休んだ日も多かったし、休んでゲームしていましたからね(笑)
そしてそのゲームの名前は「信長の野望」。

福山
なるほど。
信長の野望をしながら野望を抱いていたということですね(笑)

和家
確かに野望はありました。
そしてそれがゲームに表れていました(笑)
成績もあまり芳しくなかったのでからかわれることもあり「和家は成績最下位をキープしているし、これは中退だな」と態度も冷ややかな感じでした。

その時は一匹オオカミで寂しかった時もあったのですが、でも一緒にご飯食べてくれる人がいてくれて、その時は本当に助かりましたね。
そんな状況でも小さな幸せがあるのだなと感じました。

福山
どん底を味わっているからこそ、小さな幸せを見つけられ、それの有り難さが分かるのでしょうね。

和家
その後、学年主任と両親と私で四者面談が行われ、学年主任が「辞めるのですか。」と聞いてきたので「はい、僕は辞めます。人生脱線しても何とかなると思っています。」と強気で伝えました。

そして学年主任の先生が高校一年の終わりの時に「是非愛媛のパイオニアとして将来頑張って再び起き上がってこい。」
担任の先生からは、「和家、おれの教師生活の中でお前が高校中退者第一号や。色々困難はあると思うがお前が選んだ道だから、信念を貫き通してみろ」
という言葉を頂き私は東高を去りました。

福山
高校を去ってしまったのですね。

和家
ちょっとウルッときましたけどね。
高校入試の時は夜中の3時ぐらいまで頑張って勉強して、夜食を母が作ってくれ苦労して入った学校なのにという思いはありましたね。
でも自分が選んだ道なので。
大学は行きたかったので大検を実は高1の夏ぐらいから並行して勉強していました。
そして高校辞めてからは時間があったので猛勉強しました。
大検予備校で勉強し一発で合格をしてその後、東海大学に入学。
大学では英語専攻ではなく物理学を専攻して学んでおりました。
今振り返れば、脱線ばかりの人生でしたね。

福山
そういった経験をされているからこそ、いざピンチになった時は強いのではないのでしょうか。

和家
nakakiji-giovanni
それはあるかもしれないですね。
敷かれたレールを脱線することなく社会人になった人だったら、ある時何かの落とし穴、失敗した時その時に立ち直れずに精神的ダメージが大きかったりすることがあるのかもしれませんね。
私は人生「山」あり「谷」ありだと考えております。
色々経験して、谷に落ちますよね。
その時に何もしない人は成長がないと思います。
だから谷の時に今は谷の時だと、パワーエネルギーを温存する時だと考えて将来やってくる山に備えて何か地道に地味にコツコツします。
そうすると良い時期が絶対にきます。
そういうことをやっているとふと気が付くと山の状態になっています。
数年前は谷の状態だったけど今は山の状態です。
その繰り返しなのだと私は思います。

福山
なるほど。
まさに「人生山あり谷あり」ですね。
大学入学後はどの様な生活を送ったのでしょうか。

和家
物理をやっていて趣味で英語は好きだったので大学入ってからも勉強は続けていました。
週に一回ある英語の授業がすごく楽しかったので自分が好きで学んでいた物理が次第につまらなくなりました。
そして物理系でご飯を食べていくって考えたら難しいなと思い、次第に英語の時間が長くなってきて、物理の時間が少なくなり成績も下がってきて、また最下位なりました。
実は大学は2年間しか行っていません。
「絶対に将来英語でご飯を食べていく。TOEICで満点取れるくらいの英語力、会話力を身に着ける」と両親に宣言して土下座をしました。
やっぱり大学でやっていることは自分のやりたいことではない。
大学辞める代りに留学させて下さい。と言って説得し大学を中退して「900点台をとって帰ってくるよ!」伝えロサンゼルスへ留学しました。
宣言通り帰国する直前に受けたTOIECで900点台が出て、留学帰国後は有頂天になっていました。
でもここからが大変で次に英語を使う職を探そうとしましたが、どこの英会話スクールも雇ってくれませんでした。

福山
TOIEC が900点あるのにでしょうか。

和家
大学中退とかですかね。
今思うと資格で見て欲しかったのですね。
それでも学習塾が雇ってくれ、受験英語はあまり好きではなかったのですがそういうのに食らいついていかなくては職がなく、学習塾で教えていても自分はハッピーではなかったです。
私は実践的な英語を教えたくて、これはもう自分で作るしかないなと思いました。

福山
学習塾は何年くらい勤めていたのでしょうか。

和家
一年半ぐらいですかね。
学習塾を辞め起業しました。
起業する前はルンルンでしたね。
自分のしたいこと自分の思うことを表現できる場があるのですからね。
ですが、お客様が集まらない。
集客方法とかも学んでいなかったので苦労はありました。

福山
その時は何歳の時だったのでしょうか。

和家
23歳の時でしたね。
六畳一間でやっておりました。
起業した時は「人」ない「物」ない「金」ない状態でした。
チラシとか名刺は安く二色刷りでそれを一万世帯にポスティングしたのですが、反応が一軒もありませんでした。
また入学式や終業式の時に学校にチラシを配っていましたが、そこに並んだ時に他の英会話教室の方がいて「お宅どこですか」と聞かれ「ハッチポッチクラブですよ」というと「ふふふっ。なにそれ?」と笑われました。
悔しかったですね。

福山
悔しいですね。
でもその悔しい思いが原動力となったのではないでしょうか。

和家
石の上に三年という言葉があると思いますがあれはすごく的を射た言葉ですね。
三年間は本当に苦しかったです。
夜ごはんはフランスパンハーフに野菜ジュース一本というのが夕食で起業して2年ぐらいはずっとその生活でしたからね。
非常に危険だったのですが23歳ぐらいだったのでまだ大丈夫だったのだと思います。
これが30代40代でしたら健康的に危なかったと思います。
若かったからこそできたことですね。
その後、生徒数も増え順調に三年後にはある程度生徒さんが集まり、当時で30名は超えて一応安定してきました。

福山
その時が26歳ぐらいの時ですよね。

和家
はい。
私の人生やっぱり山あり谷ありですので、二年ぐらいで何かあるのですよ。
起業して二年後に母親が亡くなりました。
設立時のハッチポッチの教室は父も母も祖母も来たことがあるのですごく思い出があります。
その後は集客に専念して、また生徒が増え50名ぐらいになり、かなり良い状態になりその後教室の数も増やしました。
徐々に増えていき山の状態だったのですがその後、次はお父さんが亡くなり半年ぐらいは授業の時も泣きそうな時がありましたね。
生徒数も減ったり増えたりと不安定でしたが、継続をしてくうちに右肩上がりで増えていき、ジョバンニを設立して法人化し株式会社となり現在に至ります。
いろんな人の助けがあってこその10年間でしたね。

福山
二年ごとに訪れる山と谷を乗り越えてきたのですね。
お仕事のやりがいを教えて頂けますでしょうか。

和家
英語が本当に大好きなので、英語に触れている時は常にやりがいを感じています。
外国人講師とミーティングをしている時とかTOEICを教えている時。
あと私は人をおもてなしするのが大好きです。
英会話教室と言ってもサービス業ですのでおもてなしの精神が大切ですよね。
お客様の要望を聞いて、そのご要望に答えて、お客様の目標が実現した時が一番嬉しいです。
海外旅行に行った時に困らなかったよ、TOEICで目標点取れたよ、海外勤務が決まったよといったことを言って頂いた時が一番幸せになり、またやりがいを感じる瞬間ですね。

福山
はい。
和家代表は本当に人を楽しませることが好きですよね。
それでは最後にメッセージをお願いします。

和家
人生はたまに二回目があるとか言う人がいますが、やっぱり人生泣いても笑っても一度きりと私は確信しています。
一度きりの人生だったら何もしないよりかは何か挑戦した方がいいですよね。
人生は冒険と私は考えているので「どんどん冒険しようよ!」と大学生に言いたいです。
脱線しても良いと思います。
自分の人生ですから貪欲にチャレンジして欲しいですよね。
失敗した時は、その失敗をキャリアに代えることだってできると思います。
同じ失敗を繰り返さなければいいわけですから何か気づきがあり、学びがあり、そこで自分自身が成長していくわけです。
若い時は失敗しても何とかリセットできる確率が高いと思います。
失敗しても良いので、失敗を失敗と考えずに経験だと思ってどんどん起業してみるのも良いじゃないかなと思います。
30代40代になったら家族がいたりして抑止力がでてきます。
だから独立して起業家になるなら絶対20代が一番良いと思います。

福山
失敗の繰り返しで人間成長していくのですね。
私は失敗したらくよくよしがちなのですが、失敗した経験のおかげで学べ、成長できたのだと考え新しいことにどんどんチャレンジしていきたいと思います。

和家
新しいことにチャレンジすることによって自分の知らなかった新たな自分を発見できると思いますよ。
こういう自分好きかもとか。
一度の人生、二度ない人生です。
自分のドラマは自分で作るしかないし、親とか友達の意見を聞くのではなく結局決断するのは自分ですから。

脱線しても良いじゃないか、高校中退でも良いじゃないかという勢いで一つの信念を追及して下さい。
疲れてきたりすることもあると思います。
その時は思いっきり休んだら良いと思います。
創業当初は忙しいという方もいらっしゃるのですが、私は時間があったので経営セミナーへの参加や読書、自分磨き、兄が紹介してくれた人に色々アドバイスもらったりしておりました。
時間がある時は是非自分磨きに使ってほしいですね。

福山
自分磨きですか。
私は失敗を恐れ行動するのがいつも遅く、失敗しない範囲程度で物事を行っている部分があると思います。
今日は和家代表のお話を聞いてなんだか勇気を頂きました。
本日は忙しい中ありがとうございました。

インタビュアーより

bord-giovanni

人を楽しませることが大好きな和家代表。
少し天然な部分もありますが、芯がすごくしっかりしていて、失敗しても果敢にチャレンジする強いハートを持っており自分で一度決めたことはしっかりとやり通しています。
以前、私もこちらの英会話スクールに通っていたのですが、和家代表の授業はすごく面白く楽しく良い雰囲気で勉強させて頂いておりました。
独特な世界観を持ち個性的な和家代表はすごく奥の深い方であり、英語に対する情熱は誰にも負けていないなと感じました。
きっと和家代表の英語に対する熱い情熱で皆さんの英語力アップに貢献してくれると思います。
本日はお忙しい中ご協力して頂きましてありがとうございました。
福山 さくら

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乞うご期待!

会社概要

社名:ジョバンニ株式会社
代表名:和家 裕樹
住所:愛媛県松山市平和通 1丁目1番地1 いよてつロフティ上一万2F
TEL:0120-949-815
URL:http://www.giovanni.co.jp 
事業内容:・英会話スクールの運営 ・マンツーマン英会話レッスン ・海外留学相談および支援 ・国際交流イベント企画 ・ビジネス英会話 他

サービス紹介

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『マンツーマン英会話スクール Giovanni』

愛媛県松山市に本社を置く【西日本初の】マンツーマンに特化した英会話スクールです。

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