- HOME
- 「Only one style 常に挑戦」
「Only one style 常に挑戦」
昭和建設有限会社
氏間 貴則 代表取締役
- 2014/12/17
福山
どうぞよろしくお願い致します。
氏間代表のお話に入る前に少し気になったことがあるので一つ質問させて頂きます。
断熱材にこだわりがあるとのことですが、セルロースファイバーとはどのようなものなのでしょうか。
氏間
はい。
当社はアメリカでは一番多いセブロスファイバーという断熱材を使っております。
特徴としては、まず一つ目に自己消化性を持つため、火が燃え広がるのを防ぐ力があります。
また、湿気を吸ったり吐いたり呼吸をして湿度をコントロールしたり、ホウ酸が含まれておりますので防虫効果もあり、またふかふかな繊維質が外部の騒音を防音してくれる効果もあります。
品質の良さから当社では10年以上前から使っております。
日本って見えるところにお金をかけて見えないところにはあまりお金をかけない傾向にあります。
こちらの断熱材を使用すれば大きな吹き抜けでも家全体を温くできますので自由な間取りを作れて、また電気代も節約できます。
お家が温かいのでお年寄りの方で手術後の傷口が冬場になればうずいていた痛みがなくなったといった声も頂いております。
日本ではまだ少ないですがアメリカでは一番多く使われています。
価格は少し高いのですが、何十年と住むお家の電気代を考えたら最終的に削減となると私は考えております。
福山
見えないところに気をつかっていらっしゃるのですね。
私のお家も吹き抜けだったのですが、普通の断熱材を使用しておりましたので冬場はすごく寒かった覚えがあります。
電気代も何十年と考えたら大きいですし、目先の安さよりも何十年間の電気代と考えたら最初から私なら絶対セルロースファイバーを選択しますね。
それでは初めに経営者になるまでのことを教えて頂いてもよろしいでしょうか。
氏間
高校卒業して、京都の建築専門学校に行きました。
そこが日本で唯一伝統建築科のある学校でお寺等の設計も学べます。
そこの建築科に行き京都で就職し一年半働きこちらに帰ってきて父の会社を継ぎました。
実質的に30歳くらいになり自分で責任をもって仕事をしておりますので、社長になったのは2年前ぐらいです。
福山
伝統建築科は初めて耳にしました。
社長になるのはいつ頃から意識されていたのでしょうか。
氏間
家業なので小さい時から経営者になるといった意識がありました。
兄は少し目が悪く、別の職業についておりますので、私がやらなくてはとの思いもあり小学生の時から木を削り、現場にも出てお手伝いもしていましたがそれでも嫌々していました。
福山
小さい頃からお手伝いをされており、専門学校も建築系に進まれたということは高校卒業時には家業を継ぐ意識があったのですね。
氏間
家業というだけで最初はそのような思いを持ってやっていた訳ではないのですが、仕事を覚えていくうちに面白くなってきました。
現場の大変さを分かっているので、ある程度の知識と経験、そして覚悟ができたら経営者になりたいというのはありました。
20代の時、会社はあまり大きくなく私も現場に出て働いておりましたが一級建築士の免許を取り設計をするような形を取りました。
父親の下で働いている時は仕事が嫌で嫌で仕方なかったです。
京都で働いていて父が体調を壊したのをきっかけに帰って来ましたので、最初の頃は本当に仕事が嫌でたまりませんでしたね。
福山
仕事が嫌だったのですね。
それでも一級建築士を取得されているのですね。
気持ちが変化したキッカケはあるのでしょうか。
氏間
仕事をある程度覚えて自分でするようになってからですかね。
やらされるよりかは自分でしたいことをする方が楽しいですし、自分のしたいことをするようになってから、仕事が面白いと感じると同時に責任の重さも知ってきます。
福山
楽しく仕事をするのが一番ですし、伸びますよね。
やはり結構、努力もされたのでしょうか。
氏間
やはり父の下でずっと仕事をしてはいましたが、仕事を任してもらえるように資格を取り、ある程度の設計の勉強は自分でしました。
昔は休みの日は見学会に行ったり、モデル住宅をかなり見に行ったりしておりました。
それである程度、お客さんが納得して、喜んで頂けるようなことを見出したらそれが相乗効果として仕事にやりがいを持てるようになりましたね。
福山
努力されていらっしゃるのですね。
お仕事の魅力を教えて頂けますでしょうか。
氏間
やはり人生で一番大きな買い物ですよね。
30年ローンを支払うそのお家を任して頂くといった責任感は大きいです。
店舗を壊されていた時がありましたが、すごく悲しい気持ちになりました。
家はやはり長年何世代も住み続けて頂いて、歳を重ねるごとに風合いが出てくるお家作りを目指しております。
せっかく建てて頂けるお家が、お客様の資産価値となるように、また住めば住むほど愛着が湧くようにしております。
だいたい工業製品は10年もたつと剥がれてきて、10年程も経てば数百万とリフォーム代がかかることが多いのですが、そういう費用がかからないような本物の素材を提供しております。
福山
年月を経つごとに風合いが出るお家作り、素敵ですね。
せっかくお家を建てるなら私も長く住めるお家を建てたいです。
お家をデザインする上でなにか気を付けていることはありますでしょうか。
氏間
あまり奇抜でも駄目ですよね。
景観に合う合わないもありますよね。
私が京都にいたのがちょうどバブルがはじけた時で、当時の建物はすごく装飾を施しおりましたね。
京都の安藤忠雄さんを知っていますか。
坂の上の雲美術館を設計された、日本でも一番有名な設計士さんなのですが、その方の建物とかは逆にコンクリートブロックの素材を生かした建物でしたので、逆に何年たっても飽きが来ないですよね。
福山
京都は特に周りの景観を崩さないようにお家を建築しなくてはならなく制約がすごく厳しそうなイメージがあります。
インターネットに力を入れていたとお聞きいたしましたがどのように力を入れていたのでしょうか。
氏間
ブログに力を入れていました。
2003年ぐらいからずっと日々のこだわりを書いたりしていましたので、ブログからお客様と結びつきインターネットを通して西条や松山からのお問い合わせがあったりもします。
当時はそういった情報発信をしていた会社は少なかったので、ブログだけで営業をしなくても結構お客様が来ておりましたね。
福山
沢山のブログの内容を見てお問い合わせがあるということは、それだけ質が高いのでしょうね。
氏間
ブログをつかった営業経費をかけない受注方法が業界紙などで何度か取り上げられて全国的にもブログ集客で有名になり、東京ビックサイトなどでも講演させていただき、ミサワホーム創業者の三澤千代治が理事長を務める財団法人の住宅都市工学研究所の依頼で全国の講演会をさせていただきました。
今はブログやフェイスブックで情報発信しています。
福山
最近WEBが主流ですものね。
お仕事をする上で一番大切にしていることはありますでしょうか
氏間
常に最高の物をお客様にご提案しております。
それでお客様が満足して頂けるものを常に考えておりますね。
当社の家づくりのコンセプトは「住めば住むほど愛着のでる家」であり、木や石や土などの天然素材を中心に、質を重視した家づくりをしています。
福山
お家って一生ものですものね。
毎日生活する場所であり、人生の半分近くはいる場所ですし。
お仕事をする中で、苦労された時期はいつ頃なのでしょうか。
氏間
常に苦労はしてはいるのですが、一番は先代と家づくりの考え方が全く違ったことです。
そこが一番苦労をしました。
お客様本位という部分では考えは一致しているのですが、やはり今まで自分がしていた家づくりを変えられるという部分で抵抗があったようです。
考え方を新しい物に切り替える時はかなり苦労しました。
福山
意見の不一致は人間でしたらよくある問題ですよね。
新しい考え方にはどのようにして変えたのでしょうか。
氏間
それをしたいというお客様を見つけて強引に説得しました。
父は普通の工務店のやり方をやっており、私達が今、やっているのは手間がかかってまたリスクのあることであり、そうでもしなくては変わりません。
父からすれば昔からの考えがあるので、それを変えるのがなかなか難しかったみたいですね。
福山
なかなか元々あるものを変えるのは大変ですよね。
変化していく時代についていかなくてはならないですし難しいですよね。
氏間
そうですね。
世代交代には苦労しましたね。
普通のお家を建てていたら松山や愛南町や遠い所からお客さんは来てなかったと思います。
やはり八幡浜全体のお仕事は減っていますので、それを補うには他市・他県からの仕事をしなくては難しいですよ。
福山
新しいことを取り入れるのはすごく勇気が要りますよね。
人生のターニングポイントとなる出来事はありますか。
氏間
30歳の時に結婚したのですが、大阪でセミナーに行った時にコンサルタントをしている方と知り合い、色々な情報を貰うようになって全国に同業者の仲間ができて、沢山の情報を得ることができました。
ブログを始めたのもその方がきっかけでした。
その方は元々リフォーム会社を自分でしていて、その情報を色々提供していた方です。
そこで人との繋がりができて、それが全国にあったので、商品の情報が入りやすくなりましたね。
地元にいたらそういった情報は入りにくいですよね。
分からないことがあれば全国にいる同業者に直接電話して材料はどこが安いかや、質が良いかを聞いたりしておりましたね。
最近は松山にも結構行っており、月一棟ぐらいお家を建てるのですが去年5軒は松山でしたよ。
福山
コンサルタントさんとの出会いが大きく氏間代表を変えたのですね。
仕事とは違いが八幡浜の良さを教えて頂きたいです。
氏間
はい。
人がサバサバした所と食べ物が美味しく気候が良い所ですね。
率直な人が多く、口は悪いけど人間性として表裏がない人が多いと思いますね。
大洲と八幡浜は隣に位置しますが、大洲は城下町であり八幡浜は港町で全然違いますね。
福山
城下町と港町の違いがとても気になりますので、調査したいです。
氏間代表の今後の目標とかありますか。
氏間
もう40歳になり今までは自分がかなり動いてしておりましたが、若い社員を育てるといった方向にシフトを変えていこうかなと思っております。
若い職人さん2人とコーディネーターの方が現在、産休中で新卒の子がまた一人入社予定です。
福山
今後は育成に力を入れていくのですね。
やはり建築関係の専門学校卒業の方の方が有利なのでしょうか。
氏間
要はやる気ですよ。
コーディネーターをしていた子はもともと松山大学出身の子ですよ。
就職してから勉強して、インテリアコーディ―ネーターの資格を取得し、子供できてからもパートでずっと来て頂いておりました。
これから職人さんもどんどん少なくなっていくので、これからは若い子を増やそうと思っています。
福山
なるほど。
昭和建築様ならではの若者育成が興味あります。
氏間
普通職人さんは大工の工事からするのですが、昭和建設は基礎工事からします。
家を建てるには、たくさんの行程が必要ですが、一人が家全部を作れるような形の職人さんを育てていきたいなと考えております。
今の若い子は結構できる子が多いので、もっと育てていきたいですね。
あまり求人とか出していないのでこれから積極的に出していこうかなと思っております。
年配になった方もずっと働けるように家具製造もしておりますので、ご年配の方でも職人さんがずっと働けるような環境も整えております。
70歳くらいの職人さんも来ておりますよ。
当社では年配の方でもクレーン設備も整っていますので無理なく働いていただけます。
福山
一人がお家を全部作れる職人さんの育成はすごく素敵な考えですし、ご年配の方も積極的に雇用されていらっしゃるのですね。
それでは最後に大学生にメッセージをお願いします。
氏間
学生時代に色んな職種でバイトをして経験して、そこで怒られて、社会勉強をしっかりして欲しいです。
そこで得るものが沢山あると思います。
私もバイトで学ぶことが多かったし、そこで怒られることも大切ですよ。
是非とも色々な経験をして欲しいですね。
私はお家の手伝いはよく怒られて常に何かすることはないかといった視点で動いていたので逆に外でのバイトはすごく楽に感じていました。
お家で褒められない分、外で褒められるのがとても嬉しかったです。
福山
お父さんの厳しい教育のおかけで逆に他が楽に感じたのでしょうね。
本日はお忙しい中ありがとうございました。
インタビュアーより
乞うご期待!
会社概要
社名:昭和建設有限会社
代表名:氏間 貴則
住所:〒796-0001 愛媛県八幡浜市向灘352
TEL:0894-22-3288
URL:http://www.showa-kensetsu.com/
事業内容:・不動産業/建設業/賃貸業