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思いに共感し「集まる」幼稚園に!
学校法人慶応学園
二宮 一朗 理事長
- 2017/12/7
多くの体験をした大学時代
今回インタビューを受けてくださり、ありがとうございます。まず、先生の学生時代のお話を教えてください。
大学を1回やめています。
高校時代まで数学が得意で好きでしたので、数学の勉強はしっかりしていました。何か具体的な将来の目標とか目的があるという理由はありませんでしたが、数学科に進みました。
最初は「学校の先生になろうかな。」と漠然と思っていました。ですが、高校までの数学と、大学の専門的な数学は全くの別物で、自分の想像と違っていました。高校までの数学は答えがある問題を解いていきますが、大学の数学はどちらかと言うと哲学のようなものに感じました。
そのようなギャップに悩んで過ごしていましたが、1回生のある時に友人が大学を受け直すという話を聞きました。自分の中でこの手があったことに気がつきました。
1年間はきちんと大学に行って、2年目は大学をやめると親に言えなかったので、大学の図書館で受験勉強をしていました。そのうち大学から親に連絡があり、授業に出ていないことがわかってしまいました。そして、「落ちたら今の大学で、合格したら合格したところに進む。」という条件で受け直しました。
数校受験した中で東京の大学の化学科に合格しました。そこから東京へ行きました。
愛媛と東京で何か違いというのはありましたか。
まず、愛媛にいると会えないだろう都道府県の人と会えます。北海道や東北、北陸などの出身の人たちと知り合うことができました。あと、東京全体の話になりますが、歩く速度が速くて、車のマナーが愛媛に比べるとよかったです(笑)
私は野球が好きなので、野球に関しての話をすると、今でこそ愛媛でもプロ野球の球団が来てキャンプをしていますが、当時はオープン戦が年1回実施されるかされないかという状況で、プロ野球選手を間近でみることがあまりありませんでした。しかし、東京に行くと大学がある場所の周りに球場があったため、野球を見に行く機会が増えました。
色々な刺激を東京で受けました。
愛媛では経験できないことが東京では経験できたということなのですね。愛媛に戻ろうと思ったきっかけはなにかあったのでしょうか。
学部を卒業して、2年間修士課程に行きました。私の父が元々幼稚園の園長をしていたのですが、その時には幼稚園を継ごうという気はなく、大学院卒業後は4年間一般企業に勤めました。大学が化学科だったので、企業の研究室に入りました。
幼稚園を継ごうと思ったのは30歳のときです。そろそろ今後のことをしっかり決めていかなければならないと思い始めました。
私には弟が二人いて、つまり3人兄弟ですが、そのうちの誰かが幼稚園を継がなければなりません。実家が家業をしているとどうしても長男が継ぐという意識がありますよね。私は長男なので、小学生の頃から「継ぐんでしょ?」と言われていました。
その頃は幼稚園の仕事がよくわかっていませんでしたが、漠然と継ぎたくないなと思っていました。だからこそ、地元を出たいと思っていました。
ですが、その当時、父が60歳頃で、継ぐとしたらこのタイミングかなと思い、愛媛に戻って幼稚園を手伝うことに決めました。
そうだったのですね。私が年少の頃よく先生の名前を呼んでいた記憶があります。
ちょうど、兼頭さんが入園する一ヶ月前に愛媛に戻ってきました。やはり、名前をよく覚えているのは最初に関わった園児たちです。
今でもこのように懇意にしていただけて大変嬉しいです。
会社概要
社名:学校法人慶応学園
代表名:二宮 一朗
住所:愛媛県松山市森松町1110
TEL:089-956-7034
URL:http://www.keioyouchien.ac.jp
事業内容:・教育業/学習支援業/カウンセリング