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ハタダ栗タルト、人々の思い出に生き続ける理由
株式会社ハタダ
代表取締役社長 畑田 康裕
- 2020/12/1
外から入ったからこそわかる会社の強み
畑田社長の学生時代を教えてください。
高校までは普通のそこそこ優秀なお行儀のいい学生だったと思います。
小学校は香川県の全校生徒200人くらいの小さな学校だったのですが、学級委員長など任されたり、各スポーツの大会の選手にも選ばれていたりしていましたね。ただ、大会では他所の大規模な学校の生徒はレベルが高く、全然歯が立ちませんでしたけど(笑)
よく、「見掛け倒し、期待倒れ」ということをいわれていたなあ。きっとかっこつけるのが上手だったのだと思いますね。
中学校は、親の転勤で、西日本で一番生徒数の多い学校に行くことになり、カルチャーショックを受けました。
大学受験では浪人をさせて貰ったのですが、第一志望には手が届かず、関西の私大に行き、サークルとバイトと授業の生活を送っていました。
映画がとても大好きだったので映画サークルに入り、そこに一番時間もお金も費やしていました。漠然とですが、あの頃は映画監督を目指していましたね。映画監督はハードルが高く、諦めましたが(笑)
塾講師のバイトも教えることが好きだからしていたので、好きなことに没頭した大学生時代でしたね。
80年以上続く老舗企業の4代目の社長になるまでの物語を教えてください。
新卒で、音楽関係の商社に就職しました。全国の採用を担当させてもらい、学生の皆さんに会社のことを理解してもらう為に、まずは自分が会社の様々な事を知る必要があったため、とにかく上司に自分が理解できるまで聞きまくっていましたね(笑)
がむしゃらに楽しく仕事をさせて貰っていました。
しばらくして、ハタダの会長の娘さんとの結婚をきっかけに、愛媛に移り住みました。
お菓子メーカーの社長になるという約束された未来が見えてはいるものの、不思議なことに当時は社長になることへの不安や恐れはそれほど感じませんでした。
社長に就任されてから強く感じたこと、大事にすべきと思っていることはございますか。
社長になった瞬間に、「社長としてこうあるべきだ」ということに自分の行動を合わせる必要性があったり、自分が決断しないといけないということを自覚しました。
また、社長になるまで、工場長や専務などの役職を経験し、会社を見てきましたが、会社の中で働けば働けくほど「勿体ない」と思っていました。
というのも、理念やビジョンは勿論、データの数値とか細かいところまで「見える化」されていて、会議に出るだけで会社のことがはっきりとわかることに驚きました。
前職の会社では、自分で上司一人一人に聞いて回っていて、その情報を集めることに物凄く苦労したという経験もあったもので。
あとは、業種的にもエリア的にも都会の企業が最先端でやっていたことを、地方のお菓子屋さんがもう既にやっていることに驚きました。
これは本当に素晴らしいことなのに、その価値が働く従業員のみんなに伝わっていなかったので、「勿体無い」と働き続ける中で思いました。
また、商品も個人店さんに負けないくらい美味しいのに、「うちの商品より、個人店さんの方が人気があるに決まってる」と思って働いている人が多かったんです。
私としては、一個一個全て勝負できると思っていたので、その素晴らしさを従業員のみんなやお客様にしっかりと届けたいなと思いました。
会社概要
社名:株式会社ハタダ
代表名:畑田 康裕
住所:愛媛県新居浜市船木甲2131番地
TEL:0120-459-082
事業内容:・製造業