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「十年後の 自分の姿をイメージする」
アトリエ バウ 建築設計事務所
中尾 忍 代表
- 2014/9/26
大河原
インタビューを始めさせて頂きます。本日はよろしくお願いいたします。
まず、いつから中尾代表はご自身で事務所を構えようと思われたのでしょうか。
中尾
私は工業高校の建築科に通っていたのですが、18歳の時から将来自分の事務所を構えたいと思っていました。
大河原
18歳の時からですか。
中尾
高校3年生の時に、九州産業大学のコンペティションで「限られた敷地条件で自分の設計事務所併用住宅を作ってください」というシチュエーションを与えられて、出展したところ、佳作で入選をしました。
そのコンペも第1回だったものですから入選した人は、特別に大学に推薦入学できるようになっていて、そのまま九州産業大学の工学部建築学科に進学しました。
大河原
高校生の時から夢があり目標がしっかりしていたのですね。
中尾
コンペはたまたま私の同級生が誘ってくれました(笑)
私も興味はありましたし、友達が誘ってくれたので出してみたら、私のほうが入選してしまいました。
大河原
本当に、ひょんなことから自分の生きる道が決まるなんて、運命めいたものを感じます。
大学ではどのように建築設計の勉強をされたのでしょうか。
中尾
4年間、じっくりと色々な建築を勉強したり、学校の課題で色々なシチュエーションの建物を設計するトレーニングをしました。
卒業前の12月頃に沖縄の建築設計事務所から求人の募集ありまして、私も「沖縄に行ったことないし、本土とちょっと違う文化があるから」と興味が湧き、話を受けて沖縄に行くことを決めました。
大河原
なるほど。
私も海外には興味ありますので、遠くに行ってみたくなる気持ちはわかります。
やはり学校で学ぶことと実際の仕事とでは、大きく違うと感じることがあったのではないでしょうか。
中尾
ありますね。
まずはアシスタントから始めたのですが、設計したものが形になり、実際に中に入って体験することができるわけです。
また、住宅だけでなく、例えば賃貸マンションや特別老人ホームといった、いわゆるコミュニティのスペースも手掛けるので、そこではどのような社会的な活動がされるのかを考えて設計をしていきました。
設計の際も、実際に資金計画を立てて、費用はいくら、返済はいつまで、といったリアルな話をしながら計算して作っていきました。
だから凄くお客様のサービスにも連携しているというか「こういうサービスでの使い方はいいのではないでしょうか」という企画提案も含めてやれるので、非常に面白い仕事でした。
そこに学校の課題にはない「やりがい」「使命」を感じまして、この仕事はすごく興味深く、奥が深いと思いました。
大河原
お客様と共に建築を作っていくという感じですね。
中尾
お客さまは何らかのニーズがあって依頼をされるわけですが、それを超えるもので私達はお答えしないといけないので、自分たちでニーズを解釈して、最も使いやすいスペースを考えたり、導線を作ったり、あるいは周囲に馴染みつつ、外からでも分かりやすいデザインを提案することが大事です。
わかりやすい例で言うとバリアフリーですね。
今年の二級建築士試験の課題に、「介護が必要な家族のための住宅」というのがあったのですが、そのように目的がある建物を設計していました。
大河原
なるほど。
沖縄でそのように働いているうちに、ご自身でもお仕事を頂いて、自分の手で設計してみたいというお気持ちが生まれてきたのでしょうか。
中尾
そうですね。
多くの仕事をする中で、自分もやりたいなという感情は、もちろん出てきます。
20代の目標として、自分のブランドを作る、会社を作るというのがありまして、30代になったら自分の会社を作っているというのが当時の将来設計でした。
そのために働き、図面の書き方や法律や契約の仕方、書類の書き方など
勉強していました。
2004年、29歳の時に松山に戻り、私の事務所「アトリエバウ建築設計事務所」を立ち上げました。
将来自分が独立しているというビジョンがあることを理解しながら沖縄で仕事に取り組み、その経験が土台となり「今」があり、お客様と一緒に建物を作れているだと思います。
大河原
20代で自分のブランドを作るというのはとても意欲的な目標ですね。
ブランドについては何か、ご自身で確固たるイメージは合ったのでしょうか。
中尾
とにかく自分の会社、名前でものづくりをしたいというのが第一でした。
やはり会社には会社というブランドがあり、自分が一生懸命頑張って、完成した建物はクライアントである、その方の所有権になりブランドになりますが、私の会社の名前が表面に出なくてもお客様が分かってくれていれば良いと思っています。
大河原
そういう夢にむかって、沖縄にいるときはずっと、自分の力をつけるために努力されたのですね。
中尾
そうですね。
大学を卒業してから建築士の資格を取って、独立して事務所を持って仕事をするという目標があったので、そのために何が必要かということです。
最初の事務所では分業制でしたが、次に入った事務所では、最初の打ち合わせから最後の引き渡しまで全部一人の人が担当するのです。
解らないことがあれば上司や同僚の方に聞きながら、実務上必要な図面の描き方や手続きの仕方など多岐に渡ることを教えて頂き、お客様と打ち合わせをしてものづくりをしていきました。
大河原
なるほど、一つの仕事を全て任せて頂けると、やはりモチベーションが違いますね。
中尾
はい。
更にこれもたまたまだったのですけど、その会社を経営していた方が今治の人だったのです。
沖縄の方と結婚されて30年位住まわれてきた方で、その方の設計事務所で3~4年ぐらい勤めて、トータル5年ぐらい沖縄に住む中で、色々と経験をさせて頂きました。
共に愛媛出身ということもあり、帰ってからもその方とは何かと繋がりがあります。
大河原
頑張っている方には必ず、いい結びつきがありますね。
松山に戻ってからの活動はどうのようにされたのでしょうか。
中尾
最初は、沖縄の事務所の社長さんのいとこが家を建てたいというので、その方の設計をさせていただいたのが最初になりますが、そのお仕事をしている最中に他の方からの住宅の依頼がきました。
有難いことです。
大河原
その沖縄でお世話になった方のいとこさんのお家が中尾代表にとっての実質の初仕事だったのですね。
初めてお仕事をされるときは、沖縄時代よりも緊張したり、やりがいを感じたりしたのでしょうか。
中尾
自分がプランを考えてお客様に提案をしたりと、だいたいそれまでしていた仕事と同じなので、作業自体それほど緊張はしなかったのですが、自分の会社の名前が入った建築許可が降りたときには、「自分でやり始めたのだな」という喜びはありました。
お客様に鍵をお渡しするまでが家作りなのですが、お客様に喜んで頂いて引越しをされて幸せそうに住んでいる光景を想像すると、勤めていた時以上に自分ですることのやりがいを感じました。
大河原
なるほど。
苦労のお話も聞かせて頂いて宜しいでしょうか。
中尾
苦労したことといえば、最初に仕事がとても少なかったことでしょうか。
起業家の皆さんも独立したばかりの頃はそうだとは思いますが。
それに、元々こっちで就職活動をしていたわけではないので、そんなに知り合いがいるわけでもありませんでした。
大河原
その中で、どうやってお仕事を広げていったのでしょうか。
中尾
兄の助けもありまして、兄の同級生の焼き鳥屋さんとか、お知り合いの方のお家を何軒か手掛けさせて頂きました。
直接自分が知っている人以上の人脈で仕事ができたので兄の協力には感謝し有難かったですね。
大河原
そのように人に助けられることって結構ありますよね。
そうやって、中尾代表ご自身も建築家として、また経営者として成長していったのですね。
中尾
そうですね。
会社では営業活動とかあまりしていませんでしたが、独立すると自分でしないといけませんので。
何もかも自分でしながら、動いていったという感じです。
大河原
有難うございます。
お家を建てようとされるお客様と直接接するときに、何を重視してご要望を聞かれているのでしょうか。
中尾
お客様が「一番ここは実現したいな」という優先順位の高いところを柱にして、どのようなお家に住みたいかを明確に伺うことから始めます。
大河原
優先順位ですか。
中尾
例えば海が見える家に住みたいとか、この校区に住みたいとか、目的があって土地から探している方もいるので、それらも含めて優先順位の高い部分を叶えてあげることに努めます。
土地を探している方だったら一緒に土地から探しますし、土地が見つかって融資も目処が付いて予算がだいたい明確になってきたら、その予算内で家作りを一緒に考えていきます。
夢を叶えてお客様に満足して頂くのが大切かなと思います。
大河原
やはり予算の制約があると、ここを切ってここを残そう、という感じになることがあると思うのですが、残す部分にお客様のこだわりが反映されるのですね。
中尾
そうですね。
もし作り方で多少コストが調整できると、お客さまが実現したいところにもっとお金をかけて作れますので、費用のバランスを取ってあげます。
お客さまのご予算とご要望のバランスが悪いと、最後に困るのはお客様なので、まずは予算を明確にして計画的にお家を提案していきます。
月々の返済計画も含めてですね。
大河原
返済計画の検討も建築家の方のお仕事とは知りませんでした。
中尾
自分の家を建てたことのない人よりも、実際に建てた人に相談をしたほうが安心できると思います。
私も実際にお家を建てているので、自分の経験も通して「私はこう思います」というお話をお客様にしてあげられるのです。
私にも子供がいますし、お客様のなかには小さいお子さんがいらっしゃるご家族であったり、私の経験も含め、その方にあった住宅を提案しデザインをしていきます。
大河原
確かに中尾代表の経験が元になると、アドバイスにも説得力が出そうですね。
そういうお客様の家族構成とか返済計画まで考えるとなると、今だけでなくて先のことも見据えないといけないのではないでしょうか。
中尾
その通りです。
その家族の10年後、20年後を考えるようにしています。
子供が大きくなったら子供部屋も必要になりますが、最初から作るのではなく、後からちょっと手を加えたらできるように調整してコストを抑える作り方もあります。
だから、今の予算でしないといけないこと、あとでできることを明確にして予算を調整したりします。
大河原
なるほど。
そうなると、「中尾代表に頼んで設計してもらったのだから、リフォームも中尾代表に頼もう」という繋がりが出来そうですね。
中尾
将来的にはそういう風になる可能性もありますよね。
図面や構造計算書などお家のカルテとでも言うべきものは当事務所にありますので、どこか具合が悪くなったりしたら、お医者さんではないですが診断もできます。
また、間取りの変更もちょっとした工事で済むように、そういうのもできるかどうかも含めてまたご相談して頂いたら対応できるようにもしています。
大河原
本当に、お客様のお家に対して全責任を持って設計監理をしていると感じます。
そう考えると、実際に施工される業者さんとか建材を仕入先の方についても、連絡は密にしないといけませんね。
中尾
コンクリートだったらこの会社、鉄骨だったらこの会社、木造だったらこの会社、という風に業者さんによって得意なことがそれぞれあり、お客様のご要望に応じて適切な業者さんを選ぶようにしています。
また、職人技にこだわらなくてもいいからローコストで今風なカチッとしたデザインがいいというお客様であれば、デザイン住宅を予算内で作れる方がいます。
大河原
お客様のご要望を正確に伝えるためにも、業者さんとのコミュニケーションは大事ですね。
中尾
そうですね。
工事が始まったら週に1回ぐらいは現場で打ち合わせをします。
図面では気づかない部分もあるので、お客様にも現場で内装のサンプルなどを確認して頂いて、最終チェックをして作っていくという感じですね。
大河原
なるほど。
そうやって一つ一つ真剣に取り組んでいらっしゃるのですね。
その中でも、これまでに最も心に残ったお仕事はございますか。
中尾
沖縄で今月に完成する方の家なのですが、予算が限られていたのです。
間取りは一応出来たものの、遠くですし、消費税増税前の駆け込みで見積りが例年の倍ぐらい出ているので、職人さんが不足しているのです。
結局私が沖縄で勤めていた設計事務所の社長さんに頼み込みまして、そこでリフォーム工事の職人さんを雇用しているのですが、その方達に新築の住宅を作って頂くようにお願いをしました。
そのように、一度辞めた会社でもそういう繋がりによってお家が作られるので、そういう意味では沖縄と愛媛の架け橋の役割を果たせていると感じます。
私は沖縄県愛媛県人会にも所属していましたので、元会員としても、自分の仕事として協力できたので凄くやりがいがありました。
大河原
そのお話を聞いて私もそのお家を見てみたくなりました。
沖縄の設計事務所とは、その仕事以外でも交流というか、今でも連絡を取りあったりしているのでしょうか。
中尾
はい。
そこは設計事務所の他に音楽のイベント会社もしていまして、私が5年前に三番町で作ったライブハウスにそのイベント会社の紹介で地元のミュージシャンの方が来て下さるなど、音楽の交流も最近できているので、これからまたそういう繋がりが出来ればいいなと思います。
大河原
有難うございました。
お話を聞いていると、人との交流によって中尾代表のお仕事が続いてきたのだなと感じます。
これからもそのような人との交流を大事にして、何か取り組んでみたい建築物もあったりするのでしょうか。
中尾
最近はスギ・ヒノキなど地元の材料を使っています。
現在、久万高原町で1軒お家を作っていまして、そこも久万の木を使っているのですが、そのように愛媛の木を使ったお家や建物の設計に力を入れていきたいと思っています。
大河原
地産地消で家作りということですね。
中尾
その通りです。
後は、久万高原町は高齢化しているので、地元の工務店さんとかに作ってもらうのですが地域活性化にもなるかと思います。
お家を建てて住まわれる方は若い方が多いですし、そういった方に松山や久万高原町などで地元の木材で建てたお家に住んで頂いて、根付く事によって活性化に繋がるのではないかと思います。
更に、若い方が移り住んでくると、このようなお店が欲しいなどの新たなニーズが生まれるでしょう。
カフェなどで交流するところもできてくると思うので、家作りを通して地域活性化のお手伝いを意識的にやっていきたいと思います。
大河原
有難うございます。
今後は、若い人たちにもっとお家を建てて頂けるようにどのような取り組みをしていくのでしょうか。
中尾
住宅相談会をしたり、作品展をしたりすることもあるので、そういうイベントを通して家作りについて気になることなどをお聞きする機会を作っていきたいと思います。
ここもイベントを通して色々な人と触れ合うためのスペースとして作りました。
以前は机にパソコンを置いた事務所で獏然としたスタイルだったのですが、色んな人と交流できるスペースを作るというのが構想としてありました。
それを今実践しているという感じですかね。
大河原
なるほど。
お伺いした時は、お洒落な内装だと思いましたが、いい意味で裏切られる雰囲気作りに努めていらっしゃったのですね。
最後に、これから社会に出て行かれる若者に向けて、何かメッセージをお願い致します。
中尾
さっきも少しお話をしたのですが、私のテーマでもある「10年後の自分の姿をイメージする」ということです。
将来、自分がどういう方向に興味が有るのか、なにをしたいのかを見つけて、そのイメージをします。
後は、夢を実現するために、なにをしなければいけないか、というところを明確にして実行するだけですから。
努力の機会は皆平等にあると思いますし、それをするかしないかだけの話ですし、勉強、トレーニング、努力をすれば、10年後 には自分のやりたいことが叶います。
私もその一人ですよ。
大河原
有難うございます。
10年後……私はなにをしているのでしょうか(笑)
中尾
10年後が想像できない人は、何に興味があるのかを探してる最中なのだと思います。
私も20代の前半の頃に自分探しをして、そこで見つけた目標に今30代で取り掛かっているのですが、目標に向かって努力しているとちょっとずつ進んでいる実感があり、毎日が楽しくなります。
資格を取れたら一歩進んだことになるじゃないですか。
後はもう事務所を借りてコピー機を借りて始めるだけです。
私は建築士資格の講師もしていますが、生徒さんに「なんで建築士の資格を取りたいのですか?」と聞きます。
そしたら独立したいとか今の会社でもっといい仕事をしたいとか両親にお家を作ってあげたいとか、色々な目的を持った方々が来ています。
だから皆必死で勉強をしていますよ。
20代のうちに自分が何をしたいのか見つけて、それを10年後の自分が取り組んでいるようにするには何が必要かを調べて、後はそれに向けて努力や準備をしていって欲しいと思います。
友達作りでもいいかもしれないし、資格の勉強とか、お金もそうですが、色んな事が必要ですよね。
大河原
そう考えるとまだまだ可能性がありますね。
中尾
まだまだありますよ。
私の学生の頃とは視点も時代も違うので、もっと違った感覚で何かが生まれるかも知れないですね。
大河原
新しい自分の可能性を見つけることに努めたいと思います。
本日は貴重なお時間を頂き有難うございました。
以上でインタビューを終わらせて頂きます。
インタビュアーより
次回インタビューは、有限会社UNIC 末田 由紀夫 代表取締役にお伺させていただきます。
会社概要
社名:アトリエバウ建築設計事務所
代表:中尾 忍
住所:松山市木屋町4丁目137番
TEL:089-989-8661
URL:http://www.atelierbau.com/
事業内容:・不動産業/建設業/賃貸業