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「積極的に海外に出て行こう」
愛建電工株式会社
高橋 拡行 代表取締役専務
- 2015/10/13
英語が苦手であった代表が、わずか5年でアメリカの会社で働くこととなった経緯とは?
学生の頃はどのようなことをされていましたか?
中学生の頃からパソコンが好きで、学生の時からソフト開発をやっていました。高校では、ソフトウェアを勉強する学科に入り、ボクシング部に入部しました。部活の影響から、現在のような、アクティブな性格になったのだと思います。高校は主席で卒業することができました。
その後、文教大学の情報学部 経営情報学科に入学し、財務の勉強とITの勉強をしていました。4年間のうち、4年生の時が最も真面目に学校に通っていたと思います。(笑) アルバイトで、ゲームを作っていましたので、そこからも、ソフトウェアの技能が身に付いていきました。
ソフトウェア開発をした経験を生かし、2008年に愛建電工の関連会社であるグルーヴィウェアという会社を創業しました。そこではIT系の仕事をやっています。現在は二つの会社の代表を兼務しております。
大学卒業後から今現在に至るまでにどのようなお仕事をされていたのですか?
仕事はソフトウェアエンジニアをしていました。
大学卒業後、住友電工のワークステーションを開発している東京の会社に就職しました。配属先である大阪にある住友電工の、此花研究所では、UNIXという基本ソフトに携わり、X Window Systemの開発にも従事しました。その頃に、私の同期がスタンフォード大学に留学しました。
それを知ったとき、「そんなこともできるのか!自分もアメリカで働いてみたい!」と思うようになりました。しかし、その当時は英語が全くできず、TOEIC200点台だったと思います。今でも大学の友達は、私が英語を喋れるのを信じないですよ。(笑) 当時は英語が喋れなかったですが、アメリカに行きたいという思いはすごく強かったです。
英語の勉強を始めたのは結婚して子供ができた24歳の頃で、通勤電車の隙間時間を利用しながら、必死になって単語の勉強から始めました。アメリカ行きを目指してはいたものの、実際会社の状況を見ていると、自分はアメリカには行けないのではいかと思い始めましたね。留学に行けるチャンスがあったのは、有名大学を卒業しているキャリアの方々だけだったみたいです。そういうわけで、就職から三年後、転職を決めました。
転職先は、Informixという外資系の会社でした。アメリカに行きたいという意思で入社しましたので、海外での開発の仕事をやらせてもらえました。初めは外国との共同開発ということで、シンガポールに7か月間行きました。その時に、きれいな英語を話すインド人の方と友達になり、会話やメールを通じて英語力も徐々に向上していきましたね。日本に戻って28歳の時、アメリカでの共同開発のメンバーに選ばれ、「ここが、俺の頑張り時や!このチャンスを逃すか!」という思いで必死になって頑張りました。
英語は上手くはなかったですが、会議でも積極的に発言し、開発の速度に関しても、他の人よりも早く、効率よくこなしていきました。その結果、成果も上げることができ、出張先の上司にも認めていただきました。最終的に29歳の時、Informixから、アメリカの会社に転職しました。足かけ5年でなんとかアメリカで働くという目標を達成できました。
アメリカのシリコンバレーには8年足らずいて、技術者として永住権も取りました。働いていたInformixを辞め、Sun Microsystemsという会社に転職し、その会社のSun Labという研究所でビデオサーバーの開発に携わっていました。その当時、Sun Microsystemsの製品は、富士通、伊藤忠、東芝が日本で販売していました。取引先の内、東芝が私たちの製品に興味を持ち、共同開発することになりました。
その頃、子どもがもう一人アメリカで生まれ、長女はミドルスクールに行く年齢でした。長女は日本語で話しかけても英語で返事をするほど、言語が英語中心になっていたのです。これ以上アメリカに居れば娘は日本語が話せなくなってしまうのでは、と感じました。また、海外を訪れる中で、日本に対しての愛情も芽生えていましたので、子どもたちが日本人でなくなってしまうのは非常に寂しいと感じていました。
娘の教育、日本への愛着、そして父の仕事である愛建電工が日本にあったことから、父を継ごうと思いたち日本に戻ることを決めました。そんな矢先、一通のメールが来ました。そのメールは東芝さんからで、日本の会社でのリーダーを探しているとの内容でした。ベストのタイミングでこの話があがり、何かの縁ではないかと思い、父の会社を継ぐのをやめ、東芝に入社することとなりました。
東芝では4年間、放送局向けのビデオサーバーを制作する事業部で働きました。様々なテレビ局に自分たちの作った製品を入れ、番組を放送する仕事です。その後39歳になり、そろそろ父の会社、愛建電工を継ごうと思い、会社を引き継ぐこととなりました。
今までで最も苦労したことは何でしょうか?
東芝時代の、放送局へ設備を開発し納める仕事です。放送局はすごく厳しかったです。当然ですが、不具合が発生したときに、直るまで帰ることができませんでした。時に、放送局の床で寝ることもありました。そういう時にこそ、人の本当の姿が分かります。95%の人はいなくなりました。ですが、5%の人は、とことん最後まで支援してくれました。彼らに対しては、今でも尊敬し、感謝しています。
会社概要
社名:愛建電工株式会社
代表名:高橋 拡行
住所:愛媛県松山市南吉田町2798-65
TEL:089-972-2451
URL:http://www.aikendenko.jp
事業内容:・製造業
サービス紹介
私たち愛建電工はFAシステムのハイクオリティーなトータルサービスを通じて縁の下の力持ちとなり、お客様の「モノづくり」や「省力化」に貢献することを使命とします。
私たちは、誠実な姿勢でお客様のモノづくりのベストパートナーとなり、創業から培った技術力とグループ力を駆使し、制御分野においてお客様の「生産力アップ」、「コストダウン」、 「課題解決」の実現をお約束します。
私たちは、人間力・技術力を向上し続け、お客様から「絶対的な信用と信頼」が得られ、笑顔と活気があふれる営業部を目指します。