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「人生の企画書を書いてください」

医療法人TMC 富永ペインクリニック
富永 喜代 代表

  • 2016/2/9
i-cath-tmc

最高の自分を目指して必死に汗を流した日々

富永代表は松山で開業するまでは、どちらで勤められたのでしょうか?

 徳島大学を出て、徳島、高知、香川、静岡の病院を渡りながら、夫の転勤で愛媛に来て開業しました。一か所にとどまる方が楽ではありますが、それでは学べることが限られるので、最高の自分になるためには、若い時から色々な経験を積むべきだと考えました。

 だから研修医時代から、大病院や厳しい病院など沢山修業が積めるところを敢えて選んで、各地の病院を渡り歩き、スキルアップしていったのです。

 だけれども、その間に結婚したり子供ができたりして、やはり家族の絆というものも考えなくちゃいけないと思ったから、松山に来たタイミングで開業したのです。

自己成長・スキルアップを強く意識されていたのですね。

 その時々で、自分にとって最も優先度の高いことをして、私は自分のキャリアを大事にしたいと思っていました。これは植物を育てるのと一緒で、例えばアサガオを夏に綺麗に咲かせるなら、春に種をまかないといけないですよね。夏に種まきしてもアサガオは生えないでしょう。

 しかも女性の労働は二相性になっていて、学校を卒業して社会に出ても結婚・出産・育児でキャリアが一旦途切れてしまい、育児が終わってからでは再就職が難しかったり、自分の思うような仕事に就けなかったりします。

 それは医師でも一緒で、いくら免許があるからといっても、若いうちに必死になってスキルアップしておかないと、将来的なビジョン・展望が見えないと思いました。

 そうやってスキルアップを求め、他人よりも多く転勤してきた中で、色々な所に学びに行く「飛び出す勇気」が身に付きました。この勇気を大事にしたいと思っています。

家族の絆を考えた上での開業ということですが、開業によってどのようなことが家族のためになると考えられたのでしょうか?

 元々目指していた目標は、開業医ではなく麻酔科医として大成することであり、そのために手術ができる大病院で勤務し続けるつもりでキャリアを積んできました。

 しかし育児・家庭とキャリアを両立させ、かつ女性としての充実を得る上では、勤務医、こと麻酔科というのは非常に厳しい科で、日曜でも夜中でも緊急手術があればそれに対応しなければいけないし、非常に予定が立てにくい科の一つなのです。

 麻酔科の勤務医でいる限り、自分の子供が通う学校で行事があっても参加できません。そこで親の責任として家庭・育児を考えて、勤務医としてのキャリアを一旦捨てて、比較的時間の自由が利く開業医になったのです。

次のページ『松山で開業し、ペインクリニックという存在の周知に奮闘した8年間』

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会社概要

社名:医療法人TMC 富永ペインクリニック
代表名:富永 喜代
住所:愛媛県松山市 此花町7-33
TEL:089-921-7711
事業内容:・医療業/福祉

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