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世界基準の松山市へ
有限会社味加久
代表取締役 田中 えり奈
- 2024/11/13
大好きな家族と
津田塾大学に入学したきっかけは何でしょうか?
女性の活躍に興味があり、津田梅子さん創業の女子大学に通いたいと思っていたからです。
大学を選ぶ基準として、勉学に励めること、人数が多くないことを大事にしていました。
「異なる文化的背景を持つ人たちと効果的なコミュニケーションをどうやって図っていくのか」ということに興味があり、英語英文学科異文化コミュニケーションコースで勉学に励みました。
在学中、コンチキツアーという18歳から35歳までを対象にした世界中から人が集まり、同じバスに乗ってヨーロッパを一周する企画に参加しました。
共通語として英語で会話をし、数日間寝食をともに過ごしていく。文化の違いに驚きがあり、良い経験となりました。
いつ頃からアクティブに行動されるようになったのですか?
小学生の頃だと思います。
両親がA-oneという雑貨店を銀天街で営んでおり、ほぼ年中無休で働いていました。その影響から休みがないこと当たり前で、今でもお休みがあると違和感があったりします。
当時は、小学校の児童会長など、責任のあることを率先して引受けていました。
小学校の卒業文集には「政治家になりたい」と書いていて、忙しければ忙しいほど楽しい、社会に貢献したいと書いており、その通りの人生になっているような気がします。
なぜ東京から松山に戻ってきたのでしょうか?
理由は二つあります。
一つ目は、大阪で一人暮らしをしていた親族に不幸があり、家族の大切さを身に染みて感じたからです。東京で働いて生きていくよりも家族との時間をもっと過ごしていきたいと思いました。
二つ目は、実家のお店の経営が上手くいっていなかったからです。インターネットが台頭し始め、オンラインで買い物をするという時代の流れに対応できず、商店街全体がダメージを受けていました。父も頭を抱えていたのを放っておけませんでした。
なぜ株式会社リクルートに入られたのですか?
実家のお店を継ぐことが難しかったからです。
私はお店を楽天ショッピングなどと連携し、少しずつ立て直そうと行動していました。しかし、男子がお店を継ぐべきという考えを祖父や父が持っていたので、私はお店を継ぐことができませんでした。
お店を継ぐことができないのであれば、松山にいながら就職ができビジネスマンとして成長ができる会社で働きたいという思いから、株式会社リクルートに入りました。
株式会社リクルートではどのようなことをしていたのですか?
結婚情報誌のゼクシィで企画営業を務めていました。
内容は、結婚式場にゼクシィで取り扱いをさせていただくために、広告誌面のデザインや企画を考えていくことなどで、コンサルティング領域から、イベントのサポートまでなんでもしました。
企画営業のお仕事では、どのようなことを意識していましたか?
数字で貢献することです。
「売上はありがとうの数だ」という上長の言葉を、今も覚えています。
営業ではたくさん売った人が素晴らしいとされます。それは、ありがとうと沢山言われているから素晴らしいんだと上長が教えてくださいました。
その言葉を聞いて意識が変わって、そこから数字とクライアントからのありがとうを目指して頑張っていきました。
数字を出すために、集客と成約率を必死に考えていました。
広告業は効果測定がすごく難しいので、取引先と目的をすり合わせていないとトラブルが発生してしまいます。
結婚式場と結婚を考えている方がマッチングできるように仕事をしていました。
株式会社リクルートでの経験は、現在にどのような影響を与えていますか?
株式会社リクルートで働いた経験はほとんどが今に生かされています。
ビジネスの基礎やモチベーションの上げ方、お客様とのやり取りの方法など、たくさんのことを学ばせていただきました。
現在マーケターとして、自然に物が売れる仕組みを考えているのですが、それはリクルートで働いた経験が直接生かされています。
なぜ株式会社リクルートをやめたのでしょうか?
一言でいえば松山を拠点に動きたかったから。転勤が嫌だったのです。
ゼクシィ社内コンテストを優勝させていただいたり、たくさんの方に契約していただいて1年飛び級したりといい経験を積ませていただき、残りたい気持ちも強かったですが、働きながら両親のお店を手伝っていたこともあり、県外拠点で働くビジョンが見えなかったので、次の仕事を決めず辞めました。
会社概要
社名:有限会社 味加久
代表名:田中 えり奈
住所:愛媛県松山市湊町4丁目11−4 A-oneビル
事業内容:・コンサルティング業 ・不動産業/建設業/賃貸業