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「今を 精いっぱい 生きろ」
株式会社 笹源
篠原 勲 代表取締役
- 2014/8/1
大河原
本日は宜しくお願い致します。
それではインタビューを始めさせていただきます。
篠原代表はいつ頃にラーメン屋を始めようと思われたのですか。
篠原
元々東京で中華料理を勉強していたのですが、訳あって中華料理から離れ、その後トラックの運転手などをしていました。
それでもやはり料理の世界に戻りたいと考えるようになり、23歳のときにラーメンなら味の表現の幅が広いだろうと考えたので、ラーメンの道に進もうと決めました。
大河原
味の表現ですか。
確かに最近は塩・味噌・醤油・豚骨以外にも色々な味が出ていますね
しかし、当時は今ほど風変わりなラーメンはなかったのではないですか。
篠原
今から23年前ですからね。
当時のラーメンといえば、東京ではようやく豚骨が現れ始めた頃で、担々麺もそれほどメジャーではありませんでした。
大河原
その頃にラーメンの可能性を見出した、ということでしょうか。
篠原
そうですね。
自分がラーメン業界に入るのなら、普通の味では意味がないと思っていましたので。
うどん等と比べて、ラーメンだったらオリジナルの味を作って披露できるだろうと思ったわけです。
大河原
確かにラーメンは他の麺料理と比べて、職人さんの発想が豊かだと思います。
それからどのようにラーメン作りの修行をされたのですか。
篠原
東京のラーメン屋で、ラーメンの作る手順や厨房の造り、人の動きといったオペレーションの部分を見たくて働きました。
また、有名店に入ると、独立してからもその店の名前がついて回ると考えたので、ごく普通のラーメン屋さんに入りました。
その店で2年くらい働いている間にゴマ味のスープを開発し、26歳のときに松山に帰ってお店を開きました。
大河原
今の味は東京でラーメン作りを学ばれていたときに生まれたのですね。
ゴマとの出会いはどういったものだったのでしょうか。
篠原
中華料理を勉強していた時のお店が薬膳料理のお店で、薬膳というのは食材の味だけではなく身体への効能も考えて作る料理なので、色々な食材を勉強していました。
そこで好きだった麺料理が坦々麺で、ゴマがすごく美味しかった記憶があります。
担々麺のスープにもゴマが入っていますので、ゴマ味のスープが作れるだろうと考えたわけです。
またこれからの時代、高齢化と女性と健康の3つがキーワードになるだろうと考えていたので、「身体にいい」ということでも繋がるだろうと考えました。
大河原
お話を聞いて「医食同源」という言葉を思い出しましたが、ゴマ味のラーメンを通じて、お客様に健康になっていただきたいというお考えなのですね。
篠原
はい。
そう考えてラーメンに多く含まれがちなイメージのある脂肪や塩分を抑えて、のっぴんラーメンが出来上がりました。
大河原
東京ではなく松山で開店されたのは、やはり地元への愛着ということでしょうか。
篠原
結局はそうなりますね。
ゴマ味のラーメンを完成させて、さあどこで店を開こうかとなったわけですが、今までにないラーメンですからね。
もしこれを東京で売ってヒットして、「東京で生まれたゴマ味のラーメン」と言われたら悔しいので、愛媛に帰って「愛媛で生まれたゴマ味のラーメン」と言われたいと思いました。
大河原
そのような、東京で売り出したら東京のものになってしまうのがしゃくに障るという感じは、私も少しわかります。
しかし、やはり最初は受け入れられなかったのではないでしょうか。
篠原
はい、最初にお店を開いたのが清水町だったのですが、今までにない味のラーメンが受け入れられるかどうかを知りたかったので、わざと立地の悪いところを選びました。
美味しかったら多少立地が悪くても来て頂ける、美味しくなかったらもうこない、と言うことがはっきりわかるだろうと考えたのです。
立地がよかったら本当に味で来て頂けているのかわかりませんので。
もっとも、最初は客の入りも少なくて細々としかしていませんでした。
それが半年ぐらい経ってくるとお客様が増えだして、「いける」と思い、店を大きくしようと考え出しました。
大河原
わざと立地の悪いところに店を構えるとは、かなり挑戦的なことだと思いますが、そこで評判がよかったから中央店を開かれたのですね。
そういえば松山で初めて開店してから、今月(平成26年7月)で20周年とお聞きしましたが、20年も続けていらっしゃると、ラーメンに対する考え方なども違ってきたのではないでしょうか
篠原
一番最初に作り始めたラーメン自体は、変えるわけには行かないのです。
ずっと同じことをしていますよ。
変わったとすれば、従業員の幸せを考えるようになりました。
それまで考えることといえばラーメンの味や自分の生活がほとんどでしたが、今は半分以上が「従業員のこと」ですね。
そのためには経営も勉強しなければいけないとも考えています。
大河原
従業員の方の幸せということには、どのような面で気を使っているのでしょうか。
篠原
本人にとっての幸せは人それぞれ違いますが、飲食業は基本的に拘束時間が長いのが通常で、そこでもっと自分の時間を増やしつつ、給料をもっと上げられれば、従業員それぞれの幸せは叶えられると思います。
大河原
あまり仕事に時間を費やして欲しくない、ということでしょうか。
篠原
そういうことですね。
ただしそれにはやはり売上をあげないといけないし、経費を抑えて利益を増やさないといけません。
その利益から皆の時間やお金が生まれ、皆の幸せに繋がります。
大河原
従業員の方は現在何名ほど働いていらっしゃるのでしょうか。
篠原
全部で12名ですね。
大河原
本町と北井門に2店舗ありますが、それぞれの従業員の方とのコミュニケーションはどのようにして取っていらっしゃるのでしょうか。
篠原
今は、理想の勤務体系に移行するための準備期間として、本町店は休業していて、全員がこちら北井戸の店舗に来ています。
現状は人手不足なので仕事の合間に時間を取るくらいですが、それが解消できれば勤務時間をずらしたりして個人の時間も増えると思います。
大河原
そこは従業員の方も解っていらっしゃるとは思いますが、いつかは従業員の方がもっと無理せずに働けるようにしていきたいと頑張っていらっしゃる途中なのですね。
篠原
そうですね。
従業員の募集には力を入れています。
大河原
その従業員の募集と言うことについて、何を重視して採用を決めているのでしょうか。
篠原
見るところは色々ありますが、何よりも「挨拶がちゃんとできること」です。
大河原
挨拶ですか。
篠原
一口に「おはようございます」と言っても、元気よく挨拶をできる人は普段から声がよく出ますし、お客さんがいらっしゃってもすぐ「いらっしゃいませ!」と言えます。
挨拶ができない人は、お客様がいらっしゃっても、小さな声で「いらっしゃいませー」としか言えません。
挨拶は基本です。
挨拶ができる人は仕事もできると考えています。
大河原
ラーメン屋さんに限らず、お客様を相手にするお仕事は挨拶が基本ですね。
篠原
はい。
人と接する職業は皆そうです。
「冷蔵庫に向かって挨拶するな、目を見て言え」ということも言われますし、朝一番からお通夜みたいな声を出すよりは元気に言った方が職場も明るくなりますからね。
大河原
挨拶のほかにも、仕事に対しての取り組み方も重要だと思うのですが。
篠原
そこは人それぞれで、職人肌の人もいればそうでない人もいるので、個々の適性に応じて育てていきます。
大河原
従業員の方に教えるときに気を付けていることはございますか。
篠原
こちらが要求することを一つずつ達成していける人には、色々なことを教えていきますし、途中でつまづけばそのスピードは遅くしています。
人それぞれの達成度や上達のスピードに応じて求めていくものを変えていく感じですね。
大河原
確実にステップアップできるように一つ一つ教えていくのですね。
フェイスブックでも、新しく入られた従業員の方について結構悩まれていたようですが。
篠原
彼の場合は、アルバイトで最初はラーメンが持てなかったのです。
ただすごく真面目な人なので、頑張って筋トレをして今ではちゃんと持てるようになりました。
世代というものもありますが、「世の中にはこんな人がいるのだな」と思いました。
大河原
一見すると「この人大丈夫かな」と思うような方でも、丁寧に教えていけば成長して、出来なかったことができるようになるのですね。
篠原
その子は真面目で、「頑張ります」という言葉に嘘がないことが伝わってきましたから。
彼には今でも少しずつ教えている最中です。
大河原
その方も、早く一人前になってくれると嬉しいですね。
少しお話を変えまして、「ラーメンを通じて健康をお客様に伝えたい」ということにも繋がると思うのですが、フェイスブックで、「日本の食文化を心配しているから、それに対して取り組みたい」と述べられていましたが、それについてお教えください。
篠原
それは、一昨年(平成24年)の大晦日に翌年の目標として立てたのです。
しかし去年は結局実行に移せず、今年機会があったのでようやく動き始めました。
今はまだ詳しく話せないのですが、ラーメン屋の組合で、「愛媛県中華料理生活衛生同業組合」というのがあり、そこで訴えていこうと進めています。
大河原
同業組合ということは、愛媛県の他の中華料理店さん達と共に何かをしようということなのですか。
篠原
いえ、中華だけではなくて「日本の飲食に携わる人」全体の話です。
このほど和食が世界遺産に認定されましたね。
しかし実際に日本の食文化を継承している料理人と呼ばれる人たち、すなわち調理師のことですが、この「師」という言葉が付く職業は、医師、教師、薬剤師、そして調理師の4つしかないと言われます。
その4つの中でも、医師と調理師だけが他人の口に入るものを処方・提供できるのですが、その間にある格差、社会的地位の差は何だろうと考えました。
食品産業では偽装表示や従業員の不適切な振舞いなどがよく問題になっていますが、そのような事件が起きる理由はというと、そこに携わっている人が自分の仕事に誇りを持っていないからなんです。
そんなことで食文化が崩れていっている一方で、和食が世界遺産になったと喜んでいるのは格好悪くないかと言いたくなります。
「安かろう悪かろう」の飲食店が横行して、多くの人がそれを当たり前のように美味しがっている、この現状が本当の食を理解している人にとっては非常に悔しいのです。
「それは違う、本当のイクラはこうだ」などと教えてあげたいです。
そこで、料理人としての誇りを醸成する取り組みとして、飲食店を開く人はせめて調理師免許を取ろうというように社会を変えていこうと取り組んでいます。
今は飲食業への間口が広すぎて、誰でも参入できます。
しかし、医者は医者としての仕事をするには医師免許が必要だし、免許自体も取るのは非常に難しいですよね。
それだけ難しい勉強をして初めて人の身体を扱えるので、飲食業にもそのような仕組みがあってもいいのではないでしょうか。
「食」の仕組みが出来れば何十年か後には飲食店の数は減るかもわかりません。
しかし、残った飲食店はおのずと本物ばかりになります。
子供たちに夢を持ってもらえる職業にするためには、
我々が誇りを持って輝いていないといけないし、そのためには「食の仕組み」から変えていかないといけないな
と考えているのです。
随分長く話してしまいましたね(笑)
大河原
法律を作るところまで考えていらっしゃるとは思いませんでした。
凄く共感のできるお話しです。
篠原
一人二人が頑張ったところで変わりませんからね。
本気で変えようと思ったらそのくらい根本的なところから始めなければ。
大河原
私もあまり大きなことを言えた食生活ではないのですが、そういうちゃんとした本物を出してくれるお店があれば、出来るだけそこに足を運ぼうと思います。
篠原
大河原さんも、そうでしょう?
大河原
はい。
篠原
日本にある職業の中で、一番給料が安いのが調理師なのだそうです。
それで責任感を持てと言われても辛いものがあると思うので、調理師として頑張っている人たちの誇りを高めるためにも、社会的地位が必要ではないでしょうか。
外食が信頼される世の中になればいいと思います。
大河原
私もそう思います。
篠原様にお言葉を返すようで申し訳ないのですが、仮に本物ばかりが流通する世の中だと、本物に手が出せない、裕福でない人々はどうすればいいのか気になります。
篠原
そこもひっくるめて考えていかなければいけないと思います。
医療サービスは万人が受けられますが、それと同様に、飲食も万人に供給されないといけません。
結局お金の話になるのですが、そうなると飲食店の利益率も変わるし、技術を継承させていくためのコストも重なっていくでしょう。
大河原
他には、先日ニホンウナギが絶滅危惧種に指定されましたが、食料資源の持続的な確保に貢献するところも大きいのではないでしょか。
篠原
そこも含まれますね。
大河原
本物の料理を提供するためには、本物と言えるだけの食材が確保されないといけないと思います。
篠原
そうですね。
そこは嘘さえつかなければ養殖でも構いません。
養殖でも、本物を提供し続けられる体制を整える世の中になればいいな、と思います。
結構、話が逸れましたね(笑)
大河原
いえ、大丈夫です(笑)。
こんなに深い話になるとは思っていませんでした。
ちょっと話を変えまして、2017年、えひめ国体のイメージソングの作詞・作曲をなされたそうですが、以前からこのような創作活動をしていらっしゃったのでしょうか。
篠原
はい、5年ぐらい前から始めました。
大河原
そういう活動をしていると、ご自身の中で気持ちがまとまるようなことがあるのでしょうか。
篠原
小学生のときに「青葉城恋唄」を聞いて、大阪や広島にも有名なご当地ソングがあるので、松山にもあればいいなと思いまして、
「誰か作らないかな」
「誰も作らないならいつか作ろうかな」
と思っていました。
そしてあるとき、ふと1フレーズ思い浮かんだので、そこから繋げて行ったら1曲出来上がったのが始まりです。
大河原
最初は「松山にも欲しい」という子供らしい発想だったのですね。
そうやって作り続けて、ついにはイメージソングとして採用されたのはすばらしいことだと思います。
篠原
そうですね、自分でも「まさか」と思いました。
「風」や「笑顔」といったキーワードがあったので、駄目もとで作ってみたら3日で出来ました。
大河原
テーマが地元の愛媛ということなので、イメージが湧きやすかったのかもしれませんね。
篠原
そうですね、「愛媛」「笑顔」「風」「スポーツ」「汗」、キーワードがいっぱいあるのでイメージはしやすかったです。
大河原
有難うございます。
篠原代表は、お店の経営や食文化への取組みなどについて、今後どのようにして進めていきたいのでしょうか。
篠原
従業員の皆が楽しんで、かつ会社の仕事に繋がるのであれば、飲食に限らず可能性を広げてもいいのではないかと思っています。
大河原
積極的に、従業員の方の声を取り入れていきたいということですね。
篠原
そうですね。
ドレッシングの販売も従業員からの発案ですし、さっきのテーマソングだって従業員から教えてもらったものですから。
ラーメンから離れるからといって手を出さなかったら何も始まりませんので。
ただあくまで本業はラーメンですから、そこは見失わないようにします。
大河原
ありがとうございます。
ごま味ののっぴんラー麺が、松山のラーメンの顔になるといいですね。
最後に、若者に向けてメッセージをお願い致します。
篠原
人間誰でも、頑張っているかと聞かれたら頑張っていると答えるのですが、その頑張り具合が人それぞれ違うので、死ぬ思いで頑張ってる人もいれば60%の力しか出さない人もいます。
ただ、やるなら全力でやらないと頑張っているとはいえません。
全力でやりきってこそ形に残ると思いますし、1回の人生、1回の今日を目一杯生き抜かないと勿体無いです。
人生を振り返るのは死ぬときでいいんです。
100%出し切っていればいい人生だったなと思えることでしょう。
たとえ失敗してもそれは納得できる失敗だと思います。
だから、「1日ぐらい100%以上でやってみろ、そしたら自分の人生に後悔しないし充実したものになる」と言いたいです。
近しい人が亡くなったときに葬式に行って流す涙は、その人に対してもっと出来ることがあったのではないかという後悔の涙です。
それは仕方のないことですが、後悔が少ないほど自分の過去はいいのだと思います。
そんな人生にするためには、やれることをやるしかないのではないかと思います。
大河原
やれることを100%の力でやろうということですね。
篠原
そしたら何らかの形で残るでしょう。
お金や名誉を追い求めるのはきついですが、ガムシャラにやっていれば後から付いてくるので、それが形になると言うことですね。
大河原
有難うございます。
本日はお忙しい中、インタビューに応じて下さり有難うございました。
インタビュアーより
篠原代表は食文化の未来を非常に真剣に考えていらっしゃる方でした。
本当に美味しくて健康によい食文化を後世に伝えていくには、今飲食業に携わっている料理人が自分の仕事に誇りを持ち、外食産業が人々に信頼される世の中にしなければならない、その信念がひしひしと伝わってきました。
さらに、料理人に誇りを持って欲しいと思うからこそ、従業員の方には仕事を丁寧に教えつつ、お店で働きながら幸せでいられるようにしたいとも考えているのだと感じました。
篠原代表、美味しいラーメンを有難うございました。
大河原 慧
次回インタビューは、有限会社タカアゼ 高畔 英樹 代表取締役にお伺させていただきます。
会社概要
社名:株式会社 笹源
代表名:篠原 勲
住所:愛媛県松山市北井門2-2-23
TEL:089-904-8733
URL:http://www.noppinramen.com/
事業内容:・宿泊業/飲食業