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「思う存分、いろいろなことをしていこう」

株式会社 清水屋
清水 栄治 代表取締役

  • 2015/10/15
i-cath-shimizuya

ハッキリ伝える。

学生時代はどのような若者でしたか。

 「人を真似る」とか「人と同化する」というポジションから離れようとしていました。

 また、何かを始める際に、一番先頭に立ってやろうというタイプではありませんでした。二番目ぐらいでゴソゴソと、「責任は取らないが、言いたいことは言うぞ」という立ち位置でずっと過ごしていました。

 大学時代は大阪へ行き、バンドやっていたので軽音楽部に入りました。部内の先輩が大変面白い方達で、彼らと接するうちに、また「スベってナンボ」という大阪の土地柄にも影響されたのか、堂々とした性格に変わっていきました。

 ある時に、軽音楽部の人からの紹介で5つ、6つ上の人がやっているバンドに行くことになりました。そのバンドのボーカルの方が非常に個性的な人だったのを覚えています。

 私は大阪に住んでいたのですが、アルバイトで京都に行く用事があり、他のバンドメンバーも頻繁に京都に行くので、練習場所は京都が主でした。練習は夜遅くまで続き、終電に乗り損ねることもしばしば。先輩から「終電大丈夫か?」と言われましたが、まだ長い付き合いではないので気を使わせるわけにはいかないと思い「何とかなります」と言っていました。

 しかし、ボーカルの人が「何で言わんのや!言うたらええやないか!」とひどくお怒りになり、あまりに怒られたので、それからは次第に送ってもらうことをお願いするようになっていきます。回数を重ねて慣れてくると、相手が多少忙しくても「送ってくださいよ!」とハッキリ言えるまでになりましたね(笑)その人に大分性格は変えられましたと思います。

 それまでは、遠慮する控えめな美徳のようなものを感じていたのですが、その人に出会ってからは「気を使わない関係」をつくるのがうまくなりました。自分が遠慮するということは、相手にも遠慮を強いるということになります。ですので、言い方や間合いを見極めつつ、ざっくばらんに話せる人になっていきました。

 また、バンドをやることで人前に立つことに対して抵抗が無くなり、舞台度胸がついたと思います。

会社を継ぐことに関して何か思いはありましたか?

 実のところ、学生時代はまったく会社を継ぐ気がありませんでした。小学生の頃は、周囲が「社長の息子さんだから将来も安泰だね」と言ってくることが多く、幼いながらに「将来は社長さんになるんだ」と思っていました。

 しかし中学生になると、反抗期という時期もあいまって「なんで俺には選択肢はないんだ」と思うようになりましたね。そんな中、中学生の後半からバンドを始め、ポストの空いていたベーシストになりました。当時やりたいことはバンドしかなかったですね。そして、高校に入る頃には「俺は継がない」と公言するまでになっていました(笑)

 そして大学に入り、それまで続けてきたバンドで飯を食っていこうと決めました。僕たちのバンドは、大阪で割と集客ができていたので、バンドマンとして生きていこうと心に決めました。しかし、親からの反発はすごかったですね。親父の言い方も「俺はいい。でも従業員の家族や生活はどうなる?」というような言い方や、「才能もないのにバンドをするな」という能力を否定するような言い方をされました。なので、「結果を出せばいいのか」と思い、期日を決めて結果を出すことを親と約束しました。

 しかし、約束はしたもののバンド生活はあまりうまくいきませんでした。ある日、バンドのボーカルが親父さんの病気がきっかけで地元の高知に帰ることになりました。ボーカルの脱退を皮切りに、ギター、ドラムと抜けていきバンドが活動出来ない状況にまで陥りました。

 そして、その状況のまま期日が来て、結果的に約束が守れなかったので地元に戻りました。言い訳はしたくないですからね。しかし、嫌々帰ってきたので仕事を嫌々やる生活を続けていました。仕事を続けていくうち、時間の経過と共に「しょうがないのかな」と思うようになっていきます。そして、それまで真剣に関わってこなかったので技術もないので横浜で丁稚奉公という形で1年ほど仕事の勉強をしに行くことになりました。

 しかし、横浜から帰ってきてからもずっと「他の仕事はないか」と考えていました。そうして、34歳ぐらいの頃に結婚して社長になった時、もうグズグズ言ってもしょうがないと腹を決め清水屋で働き続けることを決心しました。それまで嫌々、ステージの上で「ロックだぜ、スーツなんて脱げよ!」と言ってた自分が、スーツを着てペコペコするなんて、今思えば滑稽だなと思います(笑)

2代目として苦労されたことはありますか?

 初代が「言われた通りにして体に染みつけたらええんや」というような人で、細かいところまでうるさい人でした。「売上を上げる」「こういうやり方で上げたい」ここまでは分かるのですが、「このようにやれ・広告もこのデザインでやれ」という部分は、自分が関われないので理解できませんでした。

 しかし、今振り返れば忍耐強くなったと思いますね。折り合いのつけかたが分かり、親に合わせていきながら、隙間を遊ぶ、つまり自分のアイデアを入れることができる部分を見つけるということをしました。
最後の1、2年は「好きにやれや」が増えましたが、最後まで意見が対立することはありました。ですが、こっちが折れるなり、折り合いをつけられるようになりました。

 二代目を継いだ今はある意味好きにできるようになったのですが、言い換えると言い訳が効かなくなったとおもいます。今までは、心のどこかに「初代の意見が反映されているから」という逃げ道がありました。昔はその分気が楽だったのかなと思いますね。現在は昔よりもひとつひとつの判断が重くなってきたと感じています。

次のページ『同じ温度で取り組む。』

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会社概要

社名:株式会社 清水屋
代表名:清水 栄治
住所:愛媛県松山市竹原4丁目8-47
TEL:089-941-7388
事業内容:・クリーニング

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