INTERVIEW WITH PRESIDENT 公式フェイスブック INTERVIEW WITH PRESIDENT 公式ツイッター

「未来の自分が見ていると意識する事が大切です。」

ダスキンあたッく
熊野 輝彦 代表

  • 2015/8/5
i-cath-duskin-attack

19歳の時の家出がきっかけで東京へ行き、芸能事務所で働く

二代目社長ということですが、後継者になったきっかけはありますか?

 28年前に初代社長の高橋快夫がダスキンのフランチャイズをやろうと思い立ち、この町で開業しました。初代社長の三人娘の次女が今の私の妻です。長女はカナダで国際結婚しそのままカナダで住んでおり、三女は大阪の会社で係長をしています。高松の鶴市支店で、奥さんは業務担当をしていました。

 29歳の時に個人事業主として私はそこで開業しました。私はダスキン本部のダスキンサーヴ四国という子会社の中でフランチャイズに加盟しました。妻とそこで出会い、34歳で結婚しました。後に後継者をやってくれないかということで高松から三年前に四国中央市へ二代目社長ということで来ました。

社長になられるまでの経緯について教えてください。

 18歳で地元高松のホテルに就職をしました。そこから1年くらい勤めたのち、家出をしました。理由は頻繁にディスコに行っていたからです。そこで、知り合った男の子が東京の恵比寿に住んでおり「来たら泊めてあげるよ」と言われて、給料を握りしめて東京へ行きました。

 東京に着いた時には二万円しかなかったことを覚えています。そして知り合って二週間で、その友達の家に転がり込みました。4畳半で風呂なしトイレ・玄関共同のアパートで彼女も同棲していたため、三人で川の字で寝ていました。気まずさと申し訳ない気持ちからすぐに仕事を探そうと思い、南青山のレストランでアルバイトを始めました。

 マスターに居候していることを話すと「おれが金を貸すから一人で住め」と20万円くらい貸して頂いて、恵比寿に四畳半、風呂なし、トイレ・玄関・電話共同のアパートに住みだして東京での生活をスタートさせました。

 昼はランチ、夜はパブレストランの業務形態だったため、1日13時間位働いていました。その当時、給与は時給だったので、かなり稼ぐことできましたね。

レストランでのバイト後は何をされていたのですか?

 私は芸能界に入りたいと思っていたので、芸能事務所で働いていました。元アイドルの人が事務所を開いて、そこでマネージャーをしていました。いわゆる付き人というやつです。

 小学生の時は、両親が土日に仕事をしていたこともあり、かなりのおばあちゃんっ子でおばあちゃんと歌番組を見ていた時に「お前もあんな風になったらええのにね」と言われて「俺がなっておばあちゃんを喜ばせてあげよう」と思いました。ミーハーだったのかな、歌って踊るのが好きだったのかなと今になって思います。

 芸能界に入れたので、映画の撮影とかも頻繁にありました。

 東京へ行って芸能界や外国人との接点があり、強く感じたことは「自分を売り込む・アピールする」ということです。私は苦手でしたが、これは重要な能力だと確信しましたね。

次のページ『20代はあらゆる経験、30代で一つのことに専念』

ページ:

1

2 3 4

会社概要

社名:ダスキンあたッく
代表名:熊野 輝彦
住所:愛媛県四国中央市中之庄町1664番地
TEL:0896-24-5596
事業内容:・リース ・掃除代行

Random Pick Up

『この記事を書いた人』

愛媛大学2年次生
濵村 駿介

『この記事を書いた人』

松山大学3年次生
高橋 航貴

『この記事を書いた人』

松山大学4年次生
松井 秀樹

『この記事を書いた人』

愛媛大学2年次生
北尾 友二

『この記事を書いた人』

松山大学3年次生
樋口 真哉

『この記事を書いた人』

松山大学4年次生
福山 さくら

『この記事を書いた人』

愛媛大学4年次生
大隣 麻衣

『この記事を書いた人』

松山大学4年次生
田岡 美紗

『この記事を書いた人』

松山大学4年次生
杉脇 丈紘

『この記事を書いた人』

松山大学4年次生
岩本 真依

『この記事を書いた人』

西山 和馬

『この記事を書いた人』

松山大学2年次生
山本 隆生

『この記事を書いた人』

インターンシップ生
大河原 慧

『この記事を書いた人』

インターンシップ生
藤平 祥太

『この記事を書いた人』

松山大学3年次生
坪北 奈津美

ページ上部へ戻る